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グラント・グリーン「ラテン・ビット」 [ジャズ関係]

 昨日は雨が降って気温上昇が久方ぶりに抑えられたが、今年の連続した暑さには本当にまいった。思考回路も停滞、重たい音楽を回避すること多く、そんな中聞いた一例が、グラント・グリーンのギター作品、今回はこれを書こう。

 バンドやミュージシャンのディスコグラフィー辿ってくと、定型パターンや同じようなフォーマットが出てくるが、そんな中マンネリを脱しようとする試み、例えば企画もの、不慣れなジャンルへの挑戦、他流試合的なもの、など突発的、例外的な作品が登場するケースも見かけるが、これらが意外と存在感を放ってることもある。

 ジャズギタリストのグラント・グリーンは1961年にブルーノートレーベルにリーダー作品を発表し、前半期は比較的オーソドックスなレーベル的音楽なのだが、後半期はソウル・ファンク色が濃い作品へと移行する(あまりに大雑把すぎる分類・・・)、と区分できるだろうか。もっとも前半期とはいえピアノ奏者との共演は少なく、オルガン奏者と組むこと多く、個性は最初から出ているのだが。
 こうした中1962年に録音されたのはラテン・サウンドに挑戦した作品。デビュー年に立て続けにアルバム発表した後に、突如現れたラテンもの。このラテン系路線はこの後継続はされることがなく、この一作だけとなったので、ディスコグラフィーの中ではやはり異彩を放ってると言えるだろう。

 まずは聞いてみよう。冒頭の「Mambo Inn」、軽い音とラテン系の打楽器が聞こえてくる。参加メンバーを調べると、メンバー構成や楽器類がいつもと違う。特にコンガ奏者、シェケレ(shekere)という打楽器、そして「ドラム」とクレジットされてるものの、ラテン・ジャズのパーカッショニスト、ウイリー・ボボの参加など、ラテン系音楽要素がやはり強め。
 そしてひょうひょうとしたジャケット。ブルージーな空気は皆無、ほほ笑みを携え、ただ脱力感が漂う。

 全6曲ウキウキさせるようなサウンドの中、エキゾティックなムードと共に、いつものグラント・グリーンのギータ―節で歌うように演奏される。特に2曲目にはべサメ・ムーチョ(Besame Mucho)が入ってる。1940年にスペイン語の歌詞と共に作曲されたこの曲は、ジャズでも取り上げられることが多く、確か一番最初に聞いたと思われるのが、アート・ペッパーが復帰後の70年後半に録音された「AMONG FRIENDS」というアルバム。最初は特に気に入ったわけではなかったが、その後何度か別の演奏に遭遇してるうちに、だんだんと好きになっていった感じの曲で、中古CD探してるとき、この曲を見つけると、購入意欲がプラス1点加点される。
 ということもあり、グラント・グリーンのべサメ・ムーチョだが、ラテン系の音に支えられたギターは歌うようにこの曲の雰囲気と完璧にからみあう。異国情緒漂う、また歌謡曲的な雰囲気もあるこの曲の芯に触れる演奏。しかし中間部になると、急にジャズ方面のテイストを取り込むのだが、こうした変化をつけながら最後はまたテーマに戻ってゆく。曲自体の味付けに濃さを含んではいるとはいえ、そこに彼のシングルトーンが重なり、ラテン系の音とかみ合わされながら、ふんわりと誘われるような、軽やかさを醸し出す演奏である。

 猛暑・酷暑と暑さが留まるうだるような暑さの中、このアルバムのライトなトーンはうねうねと、軽快に、けだるく漂ってゆくのだった。思考停止、無気力状態の身体にグラント・グリーンのギターとラテン音楽がさらさらと流れてゆく。

CD:グラント・グリーン「ラテン・ビット」
 The Latin Bit / Grant Green  (Blue Note)1962年

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バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第1番/読売日本交響楽団 [コンサート(オーケストラ)]

 先週の新国立劇場も数年ぶりだったが、昨日の東京芸術劇場もおよえそ4年ぶり久しぶりの再訪となった。今回のコンサートだが、とある日コンサート情報調べているたら、この日のプログラムを発見。最初見た直後は、ベートーヴェン第5番が入ってるから、目新しさもなさそうだと素通りしかけたのだが、何かが引っ掛かった。ちょっと待てよ、と改めて眺めると相当珍しい曲が並んでる。

オネゲル:交響的運動第1番「パシフィック231」
オネゲル:交響的運動第2番「ラグビー」
バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第1番
ベートーヴェン:交響曲第5番

 しかもこのプログラムかなり攻めの構成ではないか?。そんなことを考えてるうちに、これは興味深いプログラムで、ふつふつと興味が湧いてきたので、急遽聞きに行くことにした。
 前半にオネゲルの2曲が入ってるが、この作曲家はフランス6人組のメンバーの一人ということを何かで読んだ程度、実際聞いたことはなかった。さらにバルトークのヴァイオリン協奏曲も聞いたか覚えは定かでなく、多分初めてだろう。とすると前半曲すべて初体験ということ。さて、そこにベートーヴェン第5番という有名曲が、どう組み合わされるのだろうか。

 当日の演奏ではまずオネゲルの2作品は続けて演奏されたが、第1番「パシフィック231」の方が打楽器群が入ったことによりよりリズミックな進行だった。
 そしてその後に演奏されたのがバルトークのヴァイオリン協奏曲第1番。事前にアウトラインなぞってみた印象は難解ではないが、旋律は中間から見え、フィナーレはパワフルに終わるという感じだったが、実際聞くとかなり違った。
 冒頭のソロは方向性が見えにくいが、オーケストラが入ってくると旋律が見え始める。バルトークの音楽には高い関心を持ち続けてるが、演目に上がるのは「管弦楽のために協奏曲」くらいで、自然とこのイメージに重ね合わせようとしたが、全然違った。不安定に進行するトーンの中に時折、甘美なメロディが入り、虚を突かれたという箇所が数回あった。今までバルトークのこうした感情の生々しさが反映された曲は聞いたことがなかったので、はっとする気持ちが残った。
 改めて作曲背景読むとバルトークの若き日の想いにも関わらず、献呈者が楽譜を封印したことで生前に世に出ることはなかった作品らしい。そうしたことも含め印象深い演奏だった。なおそのあとのアンコール曲だが、ニコラ・マッテイス /アリア・ファンタジア( Nicola Matteis/ Alia Fantasia)という知らない作曲家の作品。帰宅後に調べてみると、17世紀イタリア生まれの作曲家のよう、バロック時代の音がこれまた印象的だった。

 後半はベートーヴェン第5番。前半のラインナップにこの曲がどう組み合わされるのかということで聞いたが、聞き終えてみると全体プログラムのバランスは違和感がなかった。弦楽器の音がクッキリと見え、全体的に聞きごたえがあった。何度も聞いたベートーヴェン第5番であるが、今回のように前後に多彩な曲を組込むと、またリフレッシュされたとこもあるのか、そうした意味においてこの日はプログラム構成に面白さがあったと思う。

2023/9/16  東京芸術劇場
指揮=マリオ・ヴェンツァーゴ 読売日本交響楽団
ヴァイオリン=ヴェロニカ・エーベルレ


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「二人のフォスカリ」ヴェルディ/藤原歌劇団 [オペラ]

 昨日は新国立劇場でオペラ。初台の新国立劇場は久しぶりで、振り返ってみれば前回から3年半も経っていた。早いものである。またヴェルディ作品も久しぶりのことだった。
 その演目だが、今回は初期の珍しい作品である。数えてみるとこれまで観たヴェルディ作品は13作、大半は中期から後期作品で、初期は少なかったが、そんな中今回の「二人のフォスカリ」は大変貴重な機会となった。

 今回の演目「二人のフォスカリ」だが、おそらく上演は大変珍しく、公演情報を知った時少なからず驚いた。作品の音楽は聞いたことはなく、名前しか覚えがなく、確か初期の作品だったろうか、くらいしか思いつかなかった。あらすじ調べてみると、政治、復讐、冤罪、悲劇、総督と父であることの狭間で苦悩するフランチェスコの心の動きを深く掘り下げながら進んでゆくようだ。ヴェルディの主テーマの一つである父と息子の関係を軸にしてる部分は、後年の「シモン・ボッカネグラ」につながる箇所も感じられた。

 前半は1~2幕、休憩後に3幕で全体約2時間、ストーリーの展開に重ね合わせた豊かな音楽表現を存分に感じられる時間だった。
 3幕での場面構成で変化が少ないため、セットもほぼ固定しながら、必要に応じ前方と後方の空間を区分することで、複合的な場面も提示。演出は黒白を基調に、総督フランチェスコだけが赤い衣装をまとうことで、よりこの作品における総督という立ち位置をフォーカスするように思えた。

 独唱(ヤコポ、フランチェスコ、ルクレツィア)、合唱、そこに音楽が雄弁な形で寄り添う。重く、深みのある音楽は非常に聞きごたえがあり、音楽的にはベルディの個性の濃淡さが十分に感じられた。そんな中やはりハイライトは2幕のフィナーレ。各々の感情、苦悩が交錯し、重唱を生み出し、合唱が加わてゆく。そして悲劇的なクライマックスへとオーケストラの音が加わってゆく素晴らしい場面だった。

 初期作品で上演機会も多くないようだが、オーケストラの音楽には聞きごたえが充分感じられた。物語の感情の揺れと音楽がシンクロしており、ヴェルディ音楽の個性的な特徴も感じられる、そんな作品だった。今回聞くことができてよかったと思った。

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2023/9/9 新国立劇場オペラパレス
指揮:田中祐子   管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
フランチェスコ・フォスカリ:上江隼人
ヤコポ・フォスカリ:藤田卓也
ルクレツィア・コンタリーニ:佐藤亜希子
ヤコポ・ロレダーノ:田中大揮
バルバリー:及川尚志
ピザーナ:中桐かなえ
演出:伊香修吾

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ハイドン交響曲集/ジョヴァンニ・アントニーニ  (その1) [ハイドン]

 9月に入ってもこの猛暑どこまで続くのかわからないが、昨日は一カ月半振りにコンサート外出。夏場はジャズとか中心に聞いて、ブログでもクラシック音楽の更新がない状態ではあるが、全く聞いてなかったわけでもなかった。4月頃から取り掛かっていたハイドン交響曲集10枚組のボックスセット、途中進捗しない期間があったが、ようやく先月にひと通り耳を通すことができた。
 じっくり聞けた部分もあったが、暑さで集中力の欠落も度々。さらに大量の作品を聞いてると、似たような曲調、反復、まったりした空気の領域には、すり抜けてくような時間も実際あった。ということで、ひとまず「耳を通した」という感覚もあるが、こうして一旦聞き終えると達成感は相当あった。とにもかくにも、最低740分間(約12時間半)は要したのだ。そしてやり切った達成感っともに全部なぞったからこそ、そこから見えてくるものも、多分ある。

 さて、このボックスセットであるが、2032年にハイドン生誕300周年を迎えることを見据えた指揮者ジョヴァンニ・アントニーニの壮大なプロジェクトの前半部分となっている。現在も進行中であるが、取組開始は2013年でその後2019年までに録音された10作品分をボックス化したもの。今回の10枚については、パリ交響曲以降の作品は収録されておらず、主に初期から中期あたりの曲集となっており、さらにCDごとに下記のようなサブタイトルが付されている。

CD1:『ラ・パッショーネ~情熱と受難』
CD2:『哲学者』
CD3:『ひとり、物思いに』
CD4:『迂闊者』
CD5:『才気の人』
CD6:『哀歌』
CD7:『宮廷劇場とその監督』
CD8:『ラ・ロクソラーナ~ハイドンと東方』
CD9:『別れのとき』
CD10:『一日の時の移ろい』

 ハイドン交響曲に定着してる副題をそのまま使ったもの(交響曲第22番「哲学者」、第60番「迂闊者」、第26番「哀歌(ラメンタツィオーネ)」など)もあるが、関係性をふまえた意味深なタイトルもある。更にこのプロジェクト、完全にハイドンだけに限定しておらず、各CDにハイドン交響曲以外の作品も入ってる。これがまた面白い選曲。

 いろいろ感想はあったが、今回はパリ交響曲直前期の作品は特に気になった。調べてみるとパリ交響曲の手前に3つの交響曲をセットで作ったようで(第76~78番、第79~81番)、今回のボックスセットには第79~81番が全曲入っていた。

 この3曲、他とは少し印象が異なる気がする。
・交響曲第79番ヘ長調・・・何か他の曲とは違う感触があり、第1楽章や第3楽章は独特な曲調で、ほかの曲とは違いが感じられた。
・ 交響曲第80番ニ短調・・・短調のトーンは第1楽章で色濃くでてくるのだが、第4楽章は長調的で終わり、その点の統一感がやや弱いが、不思議な感じが残る。中期の短調曲でこういうタイプの展開はあまり見かけない気がする。
・ 交響曲第81番ト長調・・・一回目聞いた時はさらっとしてるかと思ったが、聞き直すと、スムーズな流れの中に、変化の幅があり、特に第2楽章の途中での大胆な変化は印象的。統一感もある。

 この3曲セットの作曲の経緯はわからないが、それまで長きに渡ってエステルハージ家のための音楽だった状況や環境が変化し、外に向けての出版作品となったらしい。大量の初期・中期を聞き続けていた中で、この第79番~第81番はそれらに比べ何か違う感触がある。変化の幅、広がりに新鮮な響きが見え隠れしているようで、やはりエステルハージ家から聞き手を外部に転換させたことは、作品自体に影響したのだろう。エステルハージ家という閉ざされた空間から外に向かっていこうとする、何か躍動感の片りんが垣間見えるそんな作品に思えた。

(次回に続く)

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CD : HAYDN 2032 - ハイドン交響曲全曲録音シリーズ 1st BOX (Vol.1-10)
指揮:ジョヴァンニ・アントニーニ
イル・ジャルディーノ・アルモニコ 、 バーゼル室内管弦楽団



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