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マーラー:大地の歌/ 東京交響楽団 [コンサート(オーケストラ)]

 2日連続でマーラー演奏会。金曜日は交響曲9番、昨日は大地の歌、といういずれも60分超えの重めのメニューとなった。

 しかも昨日の公演曲は前半2曲は初めて聞く作品(武満徹、ベルク)、そして後半マーラーというヘビーさを感じさせるラインナップだった。
 この日はどうも気分的に軽めの曲を求めてたこともあったのか、「大地の歌」の酒を飲み酔ってゆく曲あたりは、その日の気分とマッチした。いままであまり感じなかったが、とりわけ奇数曲におけるテノールの歌声が曲や歌詞と親和性が高く感じられた。

 第1~5曲までは全般的に楽観的で、酔った感じの気分の中で聞けるのだが、最後の30分近い第6曲は違ってくる。第1~5曲までは、内容は異なるが交響曲第4番あたりの明るい雰囲気にも近い部分があるのか、一方第6曲は交響曲第9番の世界観に近いような感じがある。この差異は曲調においても結構大きな隔たりはあるが、第1曲目の歌詞で人生の無常さが言及されており、酒の酔いや若さや孤独感といった諸相を経ながら、告別に至る、ひとつの人生のサイクルとして聞いてゆくと、最後に完結した感じも残る気がした。また、第6曲の中盤あたりからソプラノの抑制した中の感情がじわじわにじみ出てきて、このあたりは印象深かった。

 8年ぶりに聞いたこともあるが、酔いの楽しみ、寂寥感、そういった感情の同居する中で聞くと、以前とは感触が少し変わった気がした。

指揮:ジョナサン・ノット/ 東京交響楽団
メゾソプラノ:ドロティア・ラング テノール:ベンヤミン・ブルンス

2024/5/11 ミューザ川崎シンフォニーホール
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ブルックナー:交響曲第5番/ 神奈川フィル [コンサート(オーケストラ)]

 今年はブルックナーの生誕200周年。
 ということで2024年は各地でブルックナー交響曲が取り上げらる回数も多いようで、こちらも例年より聞く回数は増えそうだ。現時点で今月2回、9月にも2回の合わせて計4回聞く予定が既にあり、更にあと一回追加も予定しており、そうすると年間5回になるかもしれない。
 あらためて年間ごとでブルックナー交響曲聞いた過去記録を集計してみたところ、これまでの年間最大回数は3回だったので、どうやら今年は記録更新となりそうだ・・・。

 さて、今月はブルックナー月間の第一弾にあたり、先週の交響曲第3番(日本フィル、サントリーホール)に引き続き、昨日は第5番を聞いてきた。2週連続でブルックナー交響曲である。

 第5番はこれまでの体験もあるので、曲の外観、長い道のりや道程、起伏にある程度ついてゆける気もするが、7年ぶりである。とにかく80分近い長い曲なので、道に迷わないようにと思いつつ、今回は最終楽章のフィナーレを強く意識して臨むことにした。
 
 最後の結論や答えをまず念頭に置き、そこからプロセスを組み立てること。これは自分自身の物事に対するアプローチの基本にも重なり、問題や課題があると、まずこれは最後どういう結果、結論なるかを意識し、そこから必要な時間、工程を組み立ててゆく。しかしデメリットも多く、とにかく行動反応が常に遅い。即断即決したり、パッと考えすぐ行動できないので、それを実行できる人をうらやましく思うこともあるが、選択肢をあれこれ吟味しすぎ、決断は延々と先延ばしする資質は変えられない気もする。

 そんなことを考えてたら、交響曲も最後のフィナーレを意識することで、そこにたどりつくまでの長い工程を聞くという、アプローチもうまくゆくだろうかと思い、今回取り組んでみた。

 この日の公演は休憩なしの一曲だけのプログラム。
 フィナーレ目指し、長い曲を聴き始める。第1楽章に登場するいくつかの主題、金管楽器の音が抜けるように非常によく伸びていた。ゆっくりめの第2楽章、スケルツォの第3楽章では、反復が多くなるが、意識は最終楽章に置き、反復と長い過程はやや俯瞰しながらやり過ごす。開始から50分以上過ぎ、ようやく最後の長大な最終楽章が始まった。この楽章は主題の再現、回想ということがよく解説に書かれてるが、聞いてると、曲全体のダイジェスト版としてこれまでの振り返りとまとめの楽章、という印象も受けた。

 主題の回想からクラリネットによる動機が入ると、回想の主観から、さっと客観的な視野にずれる感じがある。そしてこの楽章の展開部は、コラール主題のフーガが続く。以前から、この長いフーガの部分がどうもよく位置付けられなかったのだが、今回フィナーレを念頭に置いていると、ここは最後の圧倒的なスケール感との対比、そしてフィナーレに向かう導入点でもあるのかとも思った。
 そして第4楽章が20分近く経過したあと、フィナーレが始まる。残り約5分間、ここから圧倒的なクライマックスを形作られる。主題が再現されながら、曲の抱えていたエネルギーがここにきて放出されてゆく。テンポも上がり、リズミックさ、動的で広がりを持ち、全開放されてゆく。ここまでの長い長いプロセスがこうして集結するかのよう。

 80分近い曲のラストクライマックスに広大な空間に広がる音。長い道のりを超え、この曲のゴールに近づいてゆく。
 大きなうねりの中に取り込まれると、自分の存在は縮小し、小さきものに思えてくる、そんな圧倒的なスケールの海原に飲み込まれてゆく。そんな余韻が残った。

指揮:沼尻竜典/ 神奈川フィルハーモニー管弦楽団東京交響楽団
2024/4/20 横浜みなとみらいホール
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シューマン:交響曲第3番/日本フィル [コンサート(オーケストラ)]

 前回の公演が印象的だったのでブログに書いたが、今回はそれ以来となる来日。4年ぶり3度目となるリープライヒの日本フィルとの共演を昨日聞いてきた。

https://presto-largo-roadto.blog.ss-blog.jp/2019-03-17
https://presto-largo-roadto.blog.ss-blog.jp/2019-12-08

 前2回もプログラミングが多彩だったが、今回も多様で、前半の三善晃、シマノフスキの曲は初めて聞く曲となった。

 前半2曲はなかなか複雑で、シマノフスキのヴァイオリン協奏曲は25分程度の曲ながら単一楽章という独特さ。メロディーが見えにくく掴みどころが難しかったが、中盤以降少し寄り添えた感じもあった。

 後半はシューマン交響曲。しかしこの曲のみならず、シューマンの交響曲はなかなか聞くのが難しい。分かりにくさではなく、どこか上滑りしてゆく感じがある。集中して聞こうと構えてみるものの、音が身体をかわしてすり抜けてゆく、そんな感じがこれまで何度かあった。

 そんな中、休憩中プログラム読んでたら、ライン川沿岸をよく散歩したり、ケルン大聖堂の荘厳さに感動したこと、ケルンの旅の印象などが反映されてること、作品モデルにベートーヴェンの交響曲6番があったのでは、という箇所を読んでると、こういうイメージとともに聞けばいいかもと、感じた。
 冒頭から川沿いを散歩するイメージを作りながら、聞いてみる。第2楽章~3楽章の緩徐楽章の穏やかな流れはナチュラルに入ってくる。そして全体の中でこの第4楽章だけ雰囲気が違うのが、ここがケルン大聖堂の荘厳さの印象から作曲された重厚な楽章となってることが、イメージとして事前に入ってると違和感はない。リープライヒの音はゆったりと広がりを作り上げ、生き生きとした曲の感覚を扱いながら最後まで進んでいった気がした。
 事前にイメージや曲の背景を持って入ったこともあり、これまで遭遇したような上滑り的な感覚の再現は、この日出てこなかった。

 作曲家や背景のことを知らないでも真正面から音楽だけに対峙するスタンスは重要と思うが、時には背景を丹念に調べることで、豊かに聞けることもあるだろう。この日の自分自身も前半の難解な曲にどうもフィットしてなく、適度に緩い気分が存在してたのだろうが、シューマン交響曲を今回そうした緩い感覚とともにうまく聞けたようだ。

 さて、日本フィル2024/2025年シーズン定期演奏会の日程発表されたので見てみたが、来年もまたリープライヒの指揮が入ってる。プログラムをみると、全4曲中知らない曲が3つ・・・またまた多彩なプログラム、非常に楽しみである。

指揮:アレクサンダー・リープライヒ/ 日本フィルハーモニー交響楽団
2024/3/23日本フィル定期演奏会 サントリーホール
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ジョン・アダムズ / 都響  [コンサート(オーケストラ)]

 基本的にクラシック音楽は自分が生まれる以前に作られた曲を聞くことがメインなので、最近の曲や新作を聞く機会というのは極めて少ない。たまに定期演奏会などのプログラム中に、委嘱を受けた作品などの新作が入ってことが数年に一回度くらいあり、世界初や日本初演などという形で聞いたケースも過去にあった。とはいえ、予備知識もなく、なかなか聞くのは難しい曲が多かった印象である。印象に残ってる例外的な曲といえば、例えば数年前に聞いたショスタコーヴィチの交響曲第15番か。この作曲年度をみると1971年となっており、自分が現存してるときに作曲されたのかと思いつつ聞いていたことがあった。

 こうした新作や初演の場合、名前も知らなかった作曲家の作品が多かったが、今回はちょっと違う。なんとジョン・アダムズの作品で、しかも本人自らの指揮で聞けるということ。演奏曲は近年の作品を含み冒頭に演奏された曲は2019年に作曲された曲は「日本初演」ということであった。
 そのあと2011年に作曲された「アブソリュート・ジェスト」という曲はオーケストラと弦楽四重奏という、これまでに未体験の編成。フロントにスタンディング状態で弦楽四重奏で立ち、オーケストラとの音量バランスがどうかと当初思ったが、結構弦楽奏者の音は前にでたりして十分聞きとれた。この曲はベートーヴェンの作品の断片が引用されてたりし、弦楽四重奏曲第16番のフレーズとか出てきたりしたので、なかなか面白かったが、動的な動きに対し、身体が自然と追従できるような状態で音楽を聞けていた気がする。

 今回のコンサートのパンフレット解説だが、ここでは本人の演奏曲の説明が記載されていた。どういう経緯で作ったかとか、背景部分、また改定を施した箇所、考慮した部分など、作曲した本人が直接解説しており、こういう生の説明は、たいへん参考になった。
 後半の「ハルモニーレーレ(1984-85作曲)」の解説にはシェーンベルクとの関係性の説明が興味深い話で、ああそうなんだ、と理解が深まった。この曲は5年前に初めて聞いてたいへん印象に残った曲だったが、律動的な冒頭とラスト以外の中間部は前回より聞けたと思う。本人の説明読んでいたことも頭にあったが、中間部分の途中にマーラー的な感じがあった気がする。ミニマル音楽部分だけでなく、古典的な作品のオマージュも含んだ作品として聞くことで、前回以上の手ごたえがあった。

 自分自身と同時代に生まれた曲をこうして聞くというのは、どこかで時代背景や現代感覚がバックグラウンドで共有できるので、曲との対話的な感じもできたのだろうか。
 通常のコンサートではどこか進行や構成を頭で理解しつつ聞いてることもあるが、この日のコンサートは身体的な反応が前に出てきて、ミニマル的な反復も含めながら、音楽の律動的な動きに自分をシンクロさせながら聞いていた、そんな時間だった。現代音楽とかの言葉に気難しそうなイメージもあるが、この日の音楽体験については全然難しさなどなく、考えることなく、身体でパルス的な動きも含め受け止めながら聞いていたのだと思う。

指揮:ジョン・アダムズ/ 東京都交響楽団
弦楽四重奏/エスメ弦楽四重奏団

2024/1/19 東京文化会館
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シベリウス:後期交響曲/オスモ・ヴァンスカ指揮 都響 [コンサート(オーケストラ)]

 考えてみれば、平日の夜、東京文化会館のコンサートという組み合わせは初めてのパターンだった。もちろん東京文化会館はオペラで年に数回行ってるし、平日の夜のコンサートもたまには行ってる。しかし、東京文化会館には今まで午後開始公演しか行ったことがなく、つまりこのホールで平日夜開催、という組合せは初めてになる。こじつけのようなとこもあるが、こうして少し角度をずらして眺めると新鮮な感じもする。
 初めてということで言えば、今回は電子チケット購入し入場した。映画などで普通に使ってるとはいえ、クラシック音楽コンサートでは初回となった。クラッシック系は未だにチラシも含め紙ものが多いが、今後も電子チケットは増えてくのだろう。

 さて、この日はオスモ・ヴァンスカ指揮のシベリウス交響曲で、しかもプログラムは後期交響曲第5、6、7の三曲という構成。実は遡ること8年前の2015年にも読売日響でオスモ・ヴァンスカ指揮の全く同じプログラムで聞いたことがあり、今回その時と同一プログラムで聞ける機会であった。平日夜の回はあまり選択しないのだが、今回は再度聞きたく先日聞きに行ってきた。

 それにしても、こうして交響曲を3曲並べるプログラムはやはり珍しい
(前半)シベリウス:交響曲第5番 
(後半)シベリウス:交響曲第6番、シベリウス:交響曲第7番

 前半の5番は今まで実演やCDで数回聞いてきたものと少し異なる感触だった。うまく言えないが、表面の粗いゴツゴツした感じも少し感じられた。

 後半の6番は充実した内容。透明感のある開始から始まった第1楽章の後、今までサラッと通過させた第2楽章は今回じっくり聞いた。広がりのある音が、どこかこじんまりとした空間にとどまるような森の中のざわめきというのか、そんなことを思い描きながら、他の楽章と異なる不思議な感じも受けた。
 そしてラスト7番がこの日最も心に残った。単一楽章で20分程度の曲だが、深みのある時間が広がった。その奥行きのある、包括的で、コズミック的な空間は、音楽の進行と共に広がりを伸ばしてゆく。どこまでゆくのだろう、と。
 初めて聞いた時難解で、全く分からなかったこの交響曲7番だったが、今は壮大なスケール感で大きなものに包まれる感覚がある。この日の演奏のように6番に続いて演奏されることで、7番の持つ奥行きの深みはさらに強く感じられた気がする。

 終演後の帰り道、振り返ってみると10月はコンサート回数が多くなり、カウントしてみると計6回だった。一カ月間にこれだけの回数になったのは何年ぶりだろうか。
 それにしても、相変わらず日中の気温は高めで、夜になっても冷えかたが穏やかすぎる。そして11月に入ったというのに依然として気温が高く、なんだか季節感がよくわからない感じになってきた。

指揮:オスモ・ヴァンスカ/ 東京都交響楽団
2023/10/30定期演奏会 東京文化会館
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ブルックナー:交響曲第1番/ 東京交響楽団 [コンサート(オーケストラ)]

 コンサートを聞いた記録は以前つけていたが、途中で止めてしまったものの、「特定項目」だけは記録をつけ続けている。その「特定項目」に該当するのは、①オペラ、②気になるは作曲家で、現在②に該当するのは、3名の作曲家。そのうち交響曲だけに絞っているのが、ショスタコーヴィチとブルックナー。またハイドンについてはオールジャンルを対象としている。

 さて②対象のブルックナー交響曲であるが、2008年からの15年間に聞いた記録を回数別で整理すると以下のようになっている。
 5回・・・第5番、第7番
 4回・・・第4番、第8番
 3回・・・第6番、第9番
 2回・・・第2番、第3番

 合計回数にすると計28回となり、1年に1~2回程度聞いてる計算になるが、第4、5、7,8が多くなってるのはやはり公演でよく見かけることもあり妥当なところかもしれない。しかしこれまで、なぜか第1番に巡り合えなかった。演奏機会は多くないものの、何度か演目に上がってたのが、なぜかそういう日に限り用事があったり、既にコンサート予定が入ってたりして、今まで機会に巡り合うことがなかった。今回ブルックナー交響曲29回目にして、ようやく第1番が聞ける、というのは格別な思いがある。

 第1番については第2番、8番と同じハ短調。演奏時間は他の作品と比べ短めということで、とにかく昨日聞いてみた CDでも事前にアウトラインなぞっておいたが、やはり実際に聞くと全然違う。

 1866年ブルックナー40代前半に作曲されたこの交響曲には、既にその後の交響曲に何度も登場するブルックナーらしさの片りんが随所に出てきていた。CDでさらっと耳にしたときは、特徴やらしさが若干薄目なのかとの印象もあったが、この日の演奏を聞くと、ブルックナー色は十分に表出されており、エネルギーが割とストレートに出て、濃い目の曲調にも感じられ部分があった。

 冒頭第1楽章から手ごたえがあり、第3楽章のスケルツォもまさに特性がありあり出てるが、とりわけ第4楽章は非常に聞きごたえは大きな手ごたえを感じられた。
 ジョナサン・ノットのブルックナーは何度か聞いたが、今回の演奏も全編引き締まった時間で、ブレもなく、冒頭からラストまでしっかりした構築さを持って、あっという間の時間が過ぎていった。

 充実した時間で、聞き終えたが、今回初台のオペラシティ相当に久しぶりにだった。遡ってみると前回来たのは多分10年前くらいだったよう。そうしたことが関係したのか、電車で向かう途中乗り換えを間違え(京王線と京王新線)てしまった。余裕見て早めに出かけたから間に合ったが、最近こういう思い込み、勘違い、早とちり、失敗は明らかに増えてきていてる気がする・・・。

指揮:ジョナサン・ノット/ 東京交響楽団
2023/10/21 東京オペラシティコンサートホール

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ヤナーチェク:グラゴル・ミサ/ 東京交響楽団 [コンサート(オーケストラ)]

 前日にマーラー交響曲第3番聞いた翌日もコンサートへ。前日のコンサートは充足感が大きかったこともあり、またこの日は知らない曲ということで、事前準備はさっと軽めに出かけた。ヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」という知らない曲、古代スラブ語によるミサ曲なので、なんとなく静謐で・穏やかな時間、ゆったりとした時間で・・・そんなことに予想していた。
 しかしそんなことにはならなかった。

 前半はドビュッシーの交響的組曲 「ペレアスとメリザンド」、まどろむように、とりとめない時間を通過し、後半のヤナーチェクへ。

 冒頭の金管ファンファーレで、おやっと思ったが、この後の第3~7曲まで「キリエ」「グローリア 」「クレド」など、いわゆるミサ曲らしいタイトル曲が続くので、このあたりは静かな合唱や独唱が入るかと思いきや、全然違った。
 実際の音楽は冒頭から全体に力があり、合唱や独唱も強い。曲のタイトルイメージと随分差異がある。しかも聞き進めるにつれ、力強く、濃厚な音は継続しており、実際の音とイメージはどんどん乖離してゆく。合唱曲というより、なんかオペラ作品的に近いのか、そういえばヤナーチェクには何作かオペラ作品があった。

 気が付くと、先の予測ができないこの音楽に巻き込まれ、次第に引き込まれていった。エネルギーが膨大で、パワフル、こんな構成と展開の曲、今まで聞いた音楽の枠内にあまり収まらないのでは。独唱も合唱も力強さがあり、ティンパニの強打、そしてオルガンが上方から切り込んでくる。

 中間部は独唱と合唱があり、第8曲はなんと「オルガン・ソロ」。この終盤でオルガン独奏か、と驚いたが、凄い迫力あるオルガン音色にガツンとやられた。そしてラスト第9曲は冒頭を反復し、終わる。

 これまでの音楽経験を振り返ってみても相当異質な曲に思えたが、破格の構成をもったこの「グラゴル・ミサ」、とにかくエキサイティングな40分あまりの体験だった。複雑な拍子、合唱と独唱のパワフルさ、オルガンの大々的フューチャー、そしてエネルギッシュな音楽が展開するこの曲、演奏機会は少ないようだが、またいつか聞きたいものだ。

指揮:ジョナサン・ノット/ 東京交響楽団
2023/10/14 ミューザ川崎シンフォニーホール

ソプラノ:カテジナ・クネジコヴァ
メゾソプラノ:ステファニー・イラーニ
テノール:マグヌス・ヴィギリウス
バス:ヤン・マルティニーク
合唱:東響コーラス
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マーラー交響曲第3番/日本フィル [コンサート(オーケストラ)]

 最近、5年以上のブランクを経てもう再会する曲が増えてきたような気がする、今回のマーラー交響曲第3番も8年ぶり。

 この曲はマーラーの中でもとりわけ演奏時間が長く、100分近くかかるが、本来は曲が長いとか短いという点をそれほど考慮する必要はないとは思いつつも、やはり40分前後の交響曲と100分近い交響曲を聞くのでは、聞く前の意識は同じようにいかないところがある。事前にある程度進行の目安を掴んでおけば、途中迷うことが少ないと思う。もちろん事前に聞いておくといいのだが、第1楽章が30分近くある、4楽章アルト独唱、5楽章が合唱、最終楽章も20分超える、という程度でも目安にはなるだろう。

 最近疲れやすいせいか今回は少しペース配分を考えて聞いてみた。全6楽章で100分間のも間継続集中するのはやはり難しいから、マラソンをイメージし、あまり最初から飛ばしすぎないようにした。冒頭第1楽章から30分を超え、何かこれだけで独立したひとつの交響曲としてもいいくらいの規模だが、いつもより入り込みすぎないように多少意識した。第2~3楽章にかけては、ゆるやかな音楽に入ってくゆき、マーラーが山間の静養地で作曲したこと、夏、自然、動物たちなどのイメージを持って聞いてると、いい感じに脱力して聞けた気がする。特に第3楽章のポストホルンの響きの箇所はとてもナチュラルで響いてきた。

 そのあと、独唱・合唱を経て、最終楽章。この冒頭の弦楽合奏によるテーマはマーラーの最も美しいアダージョと改めて感じた。そこまでテンポを早めることなく、じっくり進めてきたが、この楽章での情感の発露の広がりには、思いが滲みでてくるようなそんな音だった。フィナーレには、この曲の持つ多様な音楽描写や広大な深さが、包み込むように終えてゆき、大きな充足感があった。

 聞く前は時間の長さを考えていたが、聞き始めると時間は徐々に後退し音楽の中に没入していったようだ。聞き終えると時間の長さがそれほど意識されてなかったのは、音楽の引き付ける大きさ故なのかもしれない。こういう曲は身体的な体力とは違った、聞く体力というべきものも大切かもしれない。
 

指揮:カーチュン・ウォン/ 日本フィルハーモニー交響楽団
2023/10/13日本フィル定期演奏会 サントリーホール
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バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第1番/読売日本交響楽団 [コンサート(オーケストラ)]

 先週の新国立劇場も数年ぶりだったが、昨日の東京芸術劇場もおよえそ4年ぶり久しぶりの再訪となった。今回のコンサートだが、とある日コンサート情報調べているたら、この日のプログラムを発見。最初見た直後は、ベートーヴェン第5番が入ってるから、目新しさもなさそうだと素通りしかけたのだが、何かが引っ掛かった。ちょっと待てよ、と改めて眺めると相当珍しい曲が並んでる。

オネゲル:交響的運動第1番「パシフィック231」
オネゲル:交響的運動第2番「ラグビー」
バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第1番
ベートーヴェン:交響曲第5番

 しかもこのプログラムかなり攻めの構成ではないか?。そんなことを考えてるうちに、これは興味深いプログラムで、ふつふつと興味が湧いてきたので、急遽聞きに行くことにした。
 前半にオネゲルの2曲が入ってるが、この作曲家はフランス6人組のメンバーの一人ということを何かで読んだ程度、実際聞いたことはなかった。さらにバルトークのヴァイオリン協奏曲も聞いたか覚えは定かでなく、多分初めてだろう。とすると前半曲すべて初体験ということ。さて、そこにベートーヴェン第5番という有名曲が、どう組み合わされるのだろうか。

 当日の演奏ではまずオネゲルの2作品は続けて演奏されたが、第1番「パシフィック231」の方が打楽器群が入ったことによりよりリズミックな進行だった。
 そしてその後に演奏されたのがバルトークのヴァイオリン協奏曲第1番。事前にアウトラインなぞってみた印象は難解ではないが、旋律は中間から見え、フィナーレはパワフルに終わるという感じだったが、実際聞くとかなり違った。
 冒頭のソロは方向性が見えにくいが、オーケストラが入ってくると旋律が見え始める。バルトークの音楽には高い関心を持ち続けてるが、演目に上がるのは「管弦楽のために協奏曲」くらいで、自然とこのイメージに重ね合わせようとしたが、全然違った。不安定に進行するトーンの中に時折、甘美なメロディが入り、虚を突かれたという箇所が数回あった。今までバルトークのこうした感情の生々しさが反映された曲は聞いたことがなかったので、はっとする気持ちが残った。
 改めて作曲背景読むとバルトークの若き日の想いにも関わらず、献呈者が楽譜を封印したことで生前に世に出ることはなかった作品らしい。そうしたことも含め印象深い演奏だった。なおそのあとのアンコール曲だが、ニコラ・マッテイス /アリア・ファンタジア( Nicola Matteis/ Alia Fantasia)という知らない作曲家の作品。帰宅後に調べてみると、17世紀イタリア生まれの作曲家のよう、バロック時代の音がこれまた印象的だった。

 後半はベートーヴェン第5番。前半のラインナップにこの曲がどう組み合わされるのかということで聞いたが、聞き終えてみると全体プログラムのバランスは違和感がなかった。弦楽器の音がクッキリと見え、全体的に聞きごたえがあった。何度も聞いたベートーヴェン第5番であるが、今回のように前後に多彩な曲を組込むと、またリフレッシュされたとこもあるのか、そうした意味においてこの日はプログラム構成に面白さがあったと思う。

2023/9/16  東京芸術劇場
指揮=マリオ・ヴェンツァーゴ 読売日本交響楽団
ヴァイオリン=ヴェロニカ・エーベルレ


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シューベルト交響曲第8番「ザ・グレイト」/ 東京交響楽団 [コンサート(オーケストラ)]

 シューベルト交響曲第8番を聞くのは久しぶりで、もしかすると10年近く聞いてなかったかもしれない。それでも、改めて思い返してみると、この曲は自分にとってオーケストラ音楽にぐっと興味を抱かせた曲の一つであることは間違いなく、そういう意味では重要な曲なのかもしれない。

 この日は前半後半ともハ長調曲という構成で、前半はモーツアルトピアノ協奏曲から。今回の指揮者ミケーレ・マリオッティという人の名前は全く知らなかったのだが、結構期待値が高いようで、昨年度にはローマ歌劇場の音楽監督就任しているようだ。
 そういうことを踏まえ期待して聞いたが、期待を超えるような聞きごたえがあった。モーツァルトのピアノ協奏曲第21番 は、オーケストラの音の強弱の付け方や変化が非常にしっかりしていて、弱音部分も非常に歌心を感じさせる音があった。曲の魅力にうずもれることなく、音が立っているというのか、しっかりとした表情が出ていた印象で、新鮮な気持ちで最後まで聞き終えることができた。ピアノも強弱アクセントがしっかり出て、非常にバランスもよかった。

 そして後半のシューベルト交響曲。反復箇所が多く、多い曲ではあるが、じっくり聞いた。起伏や強弱をつけながら、音楽に対する親密感も感じられ進行してゆく。そして、ようやく最終楽章にくると、ここから音楽が動いてきた。豊かに、シューベルトの歌心をを存分に感じさせる、エネルギッシュさをも含んだ展開。第3楽章までとは一転し、動的な動きとともに、次第に広がってゆき、それが全開となってさらに大きく広がる、そんな音楽があった。

 いい音楽を聞けたな、という日だった。
 
指揮:ミケーレ・マリオッティ/ 東京交響楽団
2023/6/25 ミューザ川崎シンフォニーホール
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