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NHK-FM「洋楽グローリアスデイ」の番組終了について [DVD・テレビ・ラジオ]

 よく聞いていたFM番組「洋楽グロリアス デイズ」が今月をもって終了することが、HPに掲載されていた。たいへん残念である。

 毎週日曜日の16時から70年代、80年代、90年代の洋楽ナンバーが聞ける1時間の放送番組で、DJの片寄 明人さんの選曲や短いコメントとともに音楽中心にゆったりと聞ける数少ない番組だった。 
 最近はラジオ番組の「聞き逃し配信」などがあるので、期間内なら自由に聞ける環境整備が増え、それはそれで助かるのだが、この番組はオンタイムで毎回聞いていた。毎週の日曜日16時にラジオの前に座り、1時間過ごす、そんな時間。決まった時間に、毎週聞くという習慣を持つことで、日々の生活の中に、メリハリや生活のリズムを与えてくれたと思う。

 聞き始めたのはいつからだったか正確には覚えてないが、3~4年前から聞いてたと思う。休日洗濯を終え、翌週の仕事に向けワイシャツのアイロン掛けをするとき、音楽でも聞こうとラジオで番組探してたら、この番組を知ったのがきっかけだった。それが何度か続いてくるうちに、アイロン掛けは日曜16時から、FMを聞きながら、という定番作業化していった。また夏場の猛暑の時期には、ラジオで聞き終えた後、多少涼しくなった近所の散歩を30分ほどする、という組み合わせも、季節限定で定番化された時期もあった。

 面白かったのが、リスナーからのリクエスト曲。かなり自分と近い年齢層が聞いてるようで、一つのリクエスト曲と短いコメントの中にその人の記憶の風景がかいまみえるようなことが何度かあった。
 2年前には自分のリクエストした曲もオンエアされたことがあった。動画配信や検索で気軽に聞ける状況の中、あえてラジオにリクエストする、ということは個人的なニーズ以上に、リスナーにも記憶を思い出してもらえるような曲であれば、というようなことを考慮して選んでみた。すっかり忘れていたけど、聞けばああそんな曲あったよね、という感じ。ちなみに、リクエストした曲は1982年ポール・デイヴィスの「クール・ナイト」という曲。あまりメジャーな曲とはいえなくても、しかし当時の時代の空気感をうまく反映したような曲を探し、また自分自身も忘れていたくらい聞いてなかった曲だったので。

 この番組をきっかけに、特に80年代の洋楽を聞き直すことがここ数年増え、懐かしさとともに、気が付かなかった再発見も多く見つかり、このあたりのことは「昔聞いたアルバム」というカテゴリを作り、このブログでの何度か書いている。番組は終わってしまうが、こうした掘り起し作業は今後も自分で続けていくと思う。放送が残り数回となったが、そういうきっかけを与えてくれた「洋楽グロリアス デイズ」には感謝したい。
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テレビ番組「アナザーストーリーズ」より:ボブ・ディランのこと [DVD・テレビ・ラジオ]

 一昨日、NHKで放送されたテレビ番組「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」で、ボブ・ディランを取り上げたので見てみた。ディランの話の中では必ずと言っていいほど言及される1965年「ニューポート・フォーク・フェスティバル」の映像があり、これは初めて見た。
 自分にとってのディランはこの1965年以降の音楽がメインとなっていったこともあり、その分岐点というステージは感慨深いものがあった。一方でそれ以前のフォークミュージック時代やその背景はあまり意識しておらず、また近年のノーベル文学賞に受賞した経緯なども知らなかったので、初めて知ったこともいくつかあった。

 久しぶりに映像など見て、改めてこの時期のディランが最も自分に影響を与えていたことなど、いろいろ想い出したりしていた。この時期の作品として3枚のアルバム(1965年の「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」、「追憶のハイウェイ61 」、1966年「ブロンド・オン・ブロンド」)にはいずれも多大な影響を受け、以前もこのブログで書いたことがある。

https://presto-largo-roadto.blog.ss-blog.jp/2018-10-28

 振り返ってみると、ディランのアルバム、ライブ盤、ブートレグシリーズなどはこれまで20作品以上聞いてきたので、長く深い付き合いがあるのだが、特に20代の多感な時期には大きな影響を受けた。当時ディランの歌詞や言葉を読み、その言葉が生み出す自由奔放なイメージに魅了された。とりわけ上記の3枚のアルバムのいくつかの曲(「廃墟の街」、「ローランドの悲しい目の乙女 」「ジョアンナのヴィジョン」など)から繰り出される言葉の数々が、無限の積み重なるようなイメージを生みだし、目がくらむような思いをしながら、必死に自分の中に取り込もうとした時期があった。一方で、意味の不明瞭な言葉やひたすら畳みかけるような、ある種ラップのような言葉たちにも眩暈を覚え、それは例えばアルバム「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」冒頭の「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」での攻撃的な言葉に打たれた衝撃もあった。

 今回の番組を見ながら、あらためディランの物事に逆行する姿勢、反逆者としてのスタンスが印象に残った。フォークミュージックという足場から始めたが、彼の本質は一か所にとどまることでは充足できなかったのだろう。だからその後も音楽の関心は変化し、フォーマットも様々変遷してゆくわけだが、しかしライブやツアーを通じた伝道者として続けている、そんな姿がある。

 昨夜はそうしたことを考えつつ、久しぶりにディランの音楽を聞きながら、過去の自分の振り返りながら酒を飲んでいた。しばし忘れてたことを思い出し、再生され、当時の感覚がよみがえってきたりしながら。

NHK総合テレビ:アナザーストーリーズ 運命の分岐点
「ボブ・ディラン~ノーベル文学賞 原点のステージ~」
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映画「PERFECT DAYS」/ヴィム・ヴェンダース [DVD・テレビ・ラジオ]

 先日ヴィム・ヴェンダースの映画を見てきた。
 2年前くらいから、月に一回程度近くのシネコンに行くようになっていたが、今回ヴェンダースの作品がラインナップにあったので、見てきた。90年頃に見た「ベルリン・天使の詩」は内容は覚えてないが、映像の印象は残ってるし、「パリ、テキサス」はすごく感じ入るものがあったが、とにかくヴィム・ヴェンダースの映画は久しぶりになる。

 毎日の仕事と生活を淡々と映し出してゆく。会話や話言葉は少なく、特に主人公平山は最小限の会話しかしない。会話が少ない分、仕事の移動中の車で流れる音楽はぐっと存在感を出しているようだ。車で聞くのは古いカセットテープからの音楽。

 60~70年代の音が多く、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとルー・リード、オーティス・レディング、キンクス、アニマルズ、ヴァン・モリソン、パティ・スミスなど。
 知ってる曲ではあったが、主人公が朝早く都心を車で運転しながら流れる音楽として聞くと、印象は新鮮だった。アニマルズ「朝日のあたる家」という有名な曲が、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのけだるい「Pale Blue Eyes」が、ヴァン・モリソンの躍動感を携えた「ブラウン・アイド・ガール」が、こうして仕事前の朝の車で聞くと、曲の持ってる別の側面があぶりだされてくる。

 自分は車の運転はしないので、こうしてカーステレオの音楽というシチュエーションは乏しいが、カセットテープの記憶はいくつかある。カセットテープといえばFM放送やレコードからダビングするために買ってたが、この映画では音楽ソフトとしてレコードと同時に発売されたカセット。レコードやCDショップで見かけたとことはあったが、買うことはなかったものの例外的に一時期買ったことがある。

 それはちょうど、長期の海外出張してた時で、休みの日に大手レコード店に行ったときだった。1996年だったので、CDがメインだったが、日本と違って新作がカセットテープでもけっこう売り場に出ていた。しかもシングル盤のカセットテープというのもあり、それは大変安く買えたので、当時日本からポータブルのカセットデッキしか持ってきたなかったこともあり、いくつか買ってみた。

 その後、古本屋なども見つけて入ってたりしたのだが、とある古本屋の片隅に中古カセットテープが販売しているのを見つけた。日本でも中古盤店めぐりばかりやってたのだが、中古のカセットテープというのは初めて見たので、物珍しさもあり、そこでいくつか買ってみた。コンパクトになったジャケットだが、たいへん重宝して聞いていた。天気のいい日には川沿いで聞いたことも記憶に残ってる。

 映画見ながらそんなことを思い出していた。
 映画見終わって、映像とともに音楽が会話以上に雄弁に語ってたような印象も残った。

映画:「PERFECT DAYS」 2023年 ヴィム・ヴェンダース
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テレビ:人形歴史スペクタクル 「平家物語」 [DVD・テレビ・ラジオ]


 8月のとある日、テレビ放送番組のチェックしてたら、「人形歴史スペクタクル 平家物語」という番組が出てきて、これは見ておこうと思った。どういう内容かわからなかったので調べてみると、原作吉川英治の「新・平家物語」、人形作家・川本喜八郎による映像化作品で、NHKが1993~1994年に放送した人形劇の再放送のよう。深夜の放送で、気づくのが遅れたため数回分は見れずに出遅れてしまったものの、録画して見てみた。

 第一部の途中から(第一部 青雲(9) 「六波羅の春」から)参入し、第二部見ていたら、9月後半に第三部の再放送もあり、まだまだ見終わってはいないのだが、たいへん面白い。

 人形劇は子供の時から好きだった。振り返ってみると「南総里見八犬伝」の人形劇「新八犬伝」がきっかけだったと思う。「サンダーバード」も好きだったが、意識したのはだいぶ後になってからのことだった。ちょうど仕事で外国に行ったとき、日本の文化や芸術について自分が全然知らなく、説明すらできなかったことがあって、日本伝統文化や芸術方面と、自分との接点が本当にないのだろうか、と考えてた頃、たまたま見た文楽はすごく性に合った気がした。それから何回か文楽を見て、もともと人形劇が好きだったこととリンクした気がしたのだった。

 そんなことで、今回の平家物語だが、久しぶりに見た人形劇、やっぱりこれは特別だ。人形の表情は目と口の開閉程度の変化しかつけられないのに、喜怒哀楽の感情や心情の微細な変化がとりわけ豊かに見えてくる。それはやはり声の抑揚がもたらす部分が大きく、怒りや悲しみの声のトーンでセリフが語られると、人形も怒りで震えてるように見えたり、悲しみに包まれて見えてくる。そしてそこに人形の動き(例えば、かすかにうつむいたり、眉の上下、腕が上げられたり、身体がひねるような動きを伴ったりするなど)が加わり、感情表現がリアルに表出され、引き込まれてしまう。
また音楽の効果も少なくない。うれしさ、寂しさ、悲しさなどに寄り添うように、人形の感情表現をサポートする音楽もおおきな役割をもってると感じる。

 ここまでの再放映は第一から三部まで放送されたが、調べてみると、当時午後8時台の放送で、各回20分番組、登場した人形はなんと400体超という大がかりな規模だったという。ここまで計36回再放送されているが、全部で56話あるらしい。現在第二部後半で源氏の台頭と清盛の没落のあたり見てるが、再放送は今年度の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の関連もあったかもしれない。
ともかく人形劇をこうして見れるのは、貴重な機会で、うれしいばかりである。

人形歴史スペクタクル 平家物語
原作・吉川英治、人形美術・川本喜八郎
放送期間:1993~1994年度
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テレビ番組(再放送)「映像の世紀」 [DVD・テレビ・ラジオ]

 8月は休日に雨の日が多く、あまり外出しなかった。テレビもオリンピック放送中心だったので、録画した放送を見てたのだが、中でもNHKが1995年~1996年にかけて放送されたドキュメンタリー番組「映像の世紀」には相当な時間を費やすこととなった。なんせ1回の放送が75分で全11回。つまりおよそ14時間である。これはワーグナーの「ニーベルングの指輪」をDVDとかで全部見る時間に匹敵するくらいのボリュームであったので、さすがに全部見れるだろうかと思っていたのだが、現在80%は見終え、残り2回分を残すのみとなった。

 基本的にドキュメンタリー番組はよく見る方だと思うが、自分の好みから離れたテーマやジャンルも選択肢に取り込むよう心がけている。もちろん自分の関心事が中心だが、時には対象外のようなテーマだったり、関心の低かったこと、シリアスな内容も見るようにと考えてはいる。こうした自分の知らなかった世界やテーマを目の当たりにすると、考えるきっかけになったり、視野が広がることもあるので、できるだけ自己の制約をかけないで見るようにしている。

 今回の「映像の世紀」という番組も近代の歴史認識を増強したいと思い、歴史勉強という気持ちで見始めた。途中かなり重い映像があって、しんどい箇所も少なくなかったのだが、やはりこういう部分は避けてはいけないと何度か感じた。
 映像の中でも印象に残ったのは第一次世界大戦のロシアの映像で、特にショスタコービッチの作品解説で読んできた歴史的背景を実際に映像で見たことが今回大きかった。第一次世界大戦の映像の中にレーニン、ロシア革命のシーンがあって、ショスタコービッチの標題交響曲(11番や12番)の背景の一部を映像として見ることができた。また1941年の独ソ戦争勃発からレニングラードのシーンが出てきたが、この年レニングラードで作曲していた交響曲第7番の背景を思い重ねると、改めて作品単独ではうかがい知れないものがあると実感した。

 長時間この番組を見て、その中で何度もメインテーマ曲(加古隆作曲「パリは燃えているか」)が流れてきたのだが、日常生活に戻って仕事中にも数日間この曲のメロディーがずっと残っていた。

 そんな中、先週神奈川県立音楽堂で、1970年代にブーレーズが結成したEIC(アンサンブル・アンテルコンタンポラン)のコンサートを聞いてきた。この状況下で海外からの音楽家演奏が聞ける貴重な機会だったが、特によかったのが後半のリゲティ「13人の器楽奏者のための室内協奏曲」。難解な印象もありこれまでリゲティ作品は聞いてみたいと思いつつほとんど耳にしてこなかったのだが、今回実質初めて聞いたところとストレートに入ってきた。メロディは捉えられないが、音のエネルギーはダイレクトに受けた感じがした。パンフレットでリゲティの背景読むと、強制収容所体験やハンガリー動乱からの亡命などがあったとのことで、ちょうどテレビで「映像の世紀」見てたこともあり、そうした背景が今まで以上に音楽と重なって自分に向かってきたのかもしれない。

2021/8/29 神奈川県立音楽堂 アンサンブル・アンテルコンタンポラン
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テレビ番組「生誕100年 ピアソラの世界」 [DVD・テレビ・ラジオ]

 先日テレビでピアソラの番組を見た。30代中盤頃、それまで聞いてきたロック・ジャズ以外の世界へ目を向け始めた時期、短い期間だったが、ピアソラのアルバムを集中的に聞いてた時期があった。その後クラシック音楽に入ってゆくが、そこでギドン・クレーメルの演奏(ピアソラへのオマージュ、などのアルバム)を通じてピアソラの音楽を再認識したりもしてきた。

 ピアソラというと特に「アディオス・ノニーノ」が好きな曲だが、タンゴのリズムと、アグレッシブさも感じてきて、どこか気になる存在ではあったが、とはいえピアソラの音楽が近くにあったわけでもなかった。そんな中、生誕100年を迎えるピアソラということで今回の番組を見てみた。

 2時間の番組を通し、かなり知らなかったことが多く、非常に参考になった。アルゼンチンタンゴの歴史、バンドネオンの構造、ピアソラが自らの楽団編成を何度も変えてゆくこと、1950年代にパリに留学し、ナディア・ブーランジェに師事、帰国後バンド編成にエレクトリックギターを導入し、批判を受けたこと。そして、1974作曲したリベルタンゴの演奏映像。多くの人と同じように、この曲のイメージはヨーヨーマのチェロ演奏の印象が強かったが、当時の映像はエレクトリックギター、ドラムなどの編成による疾走感ある演奏で、ほとんどロックに近いものだった。

 後半になると、彼が作曲したオーケストラ曲が登場。この曲の存在は全く知らなかった。「シンフォニア・ブエノスアイレス」という曲で、今年5月に演奏された、アンドレア・バッティストーニ指揮・東京フィルによる演奏。3楽章形式、アップダウンもかなりあるが、しっかりした構造の曲という印象。バンドネオンは2台、通常オーケストラの配置の中に置き、アルゼンチンタンゴの色彩が入ってゆくが、聞きごたえのある曲だった。

 今回、独自の方向を常に探し、あくなき探求を重ねてきたピアソラという音楽家について再認識させられ、オーケストラ曲はぜひどこかで聞いてみたいと思った。また今回の番組だが、バンドネオン奏者小松亮太さんの語りと解説に非常に熱い想いがあって、そこもよかった。

NHK Eテレ/『クラシック音楽館 生誕100年 ピアソラの世界』

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ラジオで聞く 「N響演奏会」 [DVD・テレビ・ラジオ]

 気が付くと、この1か月間ブログ更新しなかった。
 緊急事態宣言もあったが、寒さも影響し、外出は近場、最低限で済ませることが多かった。コンサートを聞くための外出は減り、結果的に休日の外出といえば食品の買い物くらいで済ませることが多くなり、平日に録画したりテレビ番組見たり、本読んだりしながら室内生活を過ごす時間が増えていった。

 今まではコンサートの予定があり、それに向けて予習的に音楽を聞く時間が多かったが、そうした動機がなくなったことで、日々の生活から音楽が後退していった感じである。こうした中ここ最近よく思うことの一つに、今までの音楽とのかかわり方とこれからの係わり方がどう変化するのか、ということ。コンサートという外的なイベントは当面、自由かつ安定期に聞くことが難しいかもしれない。いずれ戻るかもしれないが、先行きが見えにくい状況はある程度続くだろう。
 そんな中、コンサートという外部からの刺激だけを拠り所とするのでなく、これまで聞いてきた累積部分から自分の関心を深堀する部分があってもよいのではと考えることがある。とはいえ音楽を部屋でじっくり聞くのは簡単でなく、何かと集中力が欠落してしまう。コンサートホールで滞在する時間で音楽に浸るようにはゆかなく、このあたりが難しい。

 そんなことを考えつつ、昨日、FMラジオでコンサート中継番組を聞いてみた。NHK-FM 「N響演奏会」。夕方6時、ラジオの前に座り、番組を聞く。配信、録画など何かと便利になったこの時代に、ラジオを聞く時間はほとんどなくなったが、久しぶりにラジオ番組を聞いてみることにした。災害とかあった場合用に購入した小型ラジオで音はそれなりだが、ラジオから流れる音楽というのはまた違った感じもある。この日の曲目は武満 徹、ショスタコーヴィチ、シベリウスという流れ。

 最初の「武満 徹/3つの映画音楽」だが、今まで聞いた武満作曲の音楽では一番ききやすかった印象。そして「ショスタコーヴィチ/チェロ協奏曲 第1番」。この曲を聞きながら、この作品底辺の時代背景やショスタコーヴィチの音楽全般に漂う不安感というものを感じるのだが、同時に現在における不安感があり、これらが自然と自分の中でリンクしていた。
 前半終わると1時間過ぎ、ちょっとスマホでも見ようかとか、そろそろ夕食準備でもとか、何かと誘惑があったが、後半もラジオの前で聞き続けてみた。後半は「シベリウス/交響曲 第1番」

 透明感ある演奏で、またこの寒い時期によく合う気がした。
 コンサートホールには居ないものの、こうして現在進行の音をラジオで聞いてると、途中で一時停止するわけにゆかなく、同時体験的な感覚もあった。この曲のCDは所有してるから、今ここで気かなくても後で曲の内容は聞けるのだが、ラジオを通じてとはいえ、一回限りのライブ感覚はあり、やはりこうした感覚は大切だなと思った。回数的には多少減るかもしれないが、やはりコンサートという場で音を聞くことは欠かせない気がする。

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NHK-FM 「N響演奏会」2月6日(土)6:00pm 

指揮:尾高忠明、チェロ:横坂 源

武満 徹/3つの映画音楽
ショスタコーヴィチ/チェロ協奏曲 第1番 変ホ長調 作品107
シベリウス/交響曲 第1番 ホ短調 作品39
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METライブビューイング ガーシュウィン「ポーギーとベス」 [DVD・テレビ・ラジオ]

 だいたい毎年一回くらいは見ているMETライブビューイングだが、一年半ぶりに見てきた。今回は初めて見るガーシュウィンのオペラ。

なんでもMET上演も30年ぶりのことらしく、あまり見る機会が少ないようなので、今回見ることにした。作品の予備知識もあまりもたず、とにかくざっと見てきたのだが、通常のオペラとはかなり違って、設定が1920年代の米国南部の集落、ジャズやダンスの部分が色濃く反映されていること、そして扱うテーマに薬物依存のことがでてきて、非常にリアルな感じだった。

 オペラ作品ということだが、ダンスのシーンの動きの激しさとリズミカルな音楽もあって、ミュージカル的要素を強く感じた。サマータイム、It Ain't Necessarily Soなど、有名な曲もいくつかあって、アリアとかではなくポピュラーソングとしての位置づけにも思え、全体的には現代感覚に通ずる要素が強かったと思う。
 見ている途中で、思い出したのはマイルス・デイヴィスが1958年に発表した「ポーギーとベス」というレコードのこと。確か20代のころ、「ポーギーとベス」という作品存在も知らないで、マイルスのかっこいいジャケットとして買った一枚だった。

 しかし内容は想像してたのとは違って、シャープなマイルスの音が見えてこなかった。その要因はギル・エヴァンス・オーケストラの共作作品であったことなのだが、当時はよくわかってなく、ただとにかく何度か曲は聞いていた。

 その後、クラシック音楽に接したのち、ある時マイルス「マイルス・アヘッド」という作品を聞きなおしてみた。この作品はギル・エヴァンスとの共演作の一作目なのだが、クラシックを聞いたことも影響し、この作品のオーケストレーションとマイルスの融合感がスムーズに入ってきて、こういうことだったのか、と改めて再認識ささられた。

 今回METライブの「ポーギーとベス」を見終わった後、20代のころ耳にしたマイルスの「ポーギーとベス」のことが思い出され、今日少し聞いてみた。数年前に得たギル・エヴァンスとの共演作の理解があり、そこにオペラ作品をみたことで、曲のシーンや歌が背景に呼び起こすことができ、現時点の自分が以前より深くマイルスの作品に接することができてきたような気がした。

 そんなこともあって、ガーシュウィンのオペラを見終わった後、マイルスのトランペット音とともに全体的にジャズのイメージとして残っている気がする。

METライブビューイング・アンコール2020/ 東劇
ガーシュウィン《ポーギーとベス》
MET上演日:2020年2月1日
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METライブビューイング 「マーニー」 [DVD・テレビ・ラジオ]

 先日映画館でMETライブビューイングの 「マーニー」を観てきた。
 2018-2019年間ラインナップのチラシ演目を見た時、大した関心がなく素通りさせていたのだが、何でもヒッチコックが映画化した作品のオペラ化ということで、たまにはこういうのもよいかと思い観に行くことにした。さらに上映前の各種情報で調べると、なかなか面白そうな気がし、特に全く知らなかった作曲家ニコ・ミューリーという人のインタビューを読むと、果たしてどんな音楽になってるのか気になってきた。

 さて実際観てきたが、ストーリーが強く、また衣装もカラフルに変化も多く、とにかく飽きないままの時間だった。さらに、各役のキャラクターと物語の人物像が強く結びついており、ある種オペラより、むしろ映画的なものに近い感じもした。そして音楽については、心理サスペンス劇の進行にうまくかみ合っており、背景音楽以上に物語の構成要素として大きな位置を占めたと感じた。見終わった時、個別の旋律とかの印象ではなく、全体感を支配した、トータルな表現においての音像というようなものが残った気がする。また自分の中に違和感も全くなく、けっこう聞きやすかった気もした。

 予想してた以上の手ごたえがあって、これはいいな、と思った。
 これまでオペラといえば、どうしても評価の定まった既存有名作品を中心に見てきたわけだが、つまるところ何百年前に作曲された作品が主流なので、同時代性とか現在進行形はあまり意識してこなかった。また、演奏会で時々初演や新作、また近年作曲された作品も聞いたことはあったが、どうも難解な印象も多く、また評価も定まってないせいか、どう接するのか戸惑うところがほとんどだった。そんなことで新作とか現代作品に対してはあまり積極的に聞こうとは思ってこなかった。

 しかしこのミューリー作曲のオペラ作品を聞くと、こうした現在形の音楽にも接しやすいものがあるなと思った。インタビューを読むと、この人はビョークやロック系の関連もあり、広範囲なフィールドで活動してるようだが、自分の中にもジャンルの境界を越えて、トータルな音楽を触れていたいという気持ちがずっとあるので、そのあたりに接点を強く感じたのかもしれない。
 そんなことで、ミューリーという人の活動調べてみたが、少しこの周囲の音楽にも関心を高めていきたいなと思ってきた。
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ラジオ番組を聞きながら [DVD・テレビ・ラジオ]

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 ようやく暑さも朝晩は遠のいた感じになってきた。しかし、最近は台風や地震で各地に大きな被害があって、そんなニュースを目の当たりにしてると、何だか落ち着かなかった。そもそも雨は苦手だし、強風吹くと不安になるので、今月に入ってからは、いつも以上に安定感を欠いた生活だった気がする。

 相変わらずモノの整理中だが、こうした自然災害があると、モノを所有することについて考えさせられる。長期間使ってないものを前に考えてみる。これが無くても他の物で代用して事足りるのではないか、果たしてこれは本当に必要なのだろうか、と問いかけてみると、処分してもいいかと思えてくる。しかしその反動として、いつか使えるかも、もったいない、という気持ちも起こる。その狭間で何度も問い直しながら、どうしても捨てられないものはある。それはまた別の機会に検討するとして、当面処分していい、と思えたモノをまず減らしている。

 モノを整理してみると重複してるものがある。一つあればいいのに、いくつかあるもの。例えば時計。腕時計、目覚まし時計、部屋の時計・・・スマホでも時間はわかる。食器、衣類、カバンなども多い。そのあたりを減らしつつあるが、これがなかなか進行しない。スパッと判断すべきなのだろうが、やはりまだ使えると思ってしまうので、とりあえず保留リストばかりが多く積もっている。

 この重複問題、クラシック音楽CDについても大きな問題である。ベートーヴェンの交響曲全集はやっと3種類まで減らしたが、ハイドンの交響曲は全集はないが、5種類くらい保有してる。一方で、自分のこのブログよく書いてる作曲家、ショスタコーヴィチ、ブルックナー、マーラーなどは全集のみワンセットしかない。そもそも交響曲はコンサートで聞くための予習用として使ってる部分が大きく、それ以外に自発的に部屋で聞くことはあまり多くないので、重複分はもう少し踏み込めるだろうか。

 夏の間はクラシック音楽ほとんど聞いてなかったが、気候も落ち着き始めたのでそろそろ聞こうかと思ってたところ、昨日はちょうどNHKの定期演奏会のFM生放送番組があったので聞いてみた。前半はシュトラウス兄弟のワルツなど、後半はマーラーの交響曲第4番というプログラム。日本酒を飲みながらクラシックというのも珍しいシチュエーションだったし、途中ラジオの前を何度か離れ、あまりじっくり聞いたわけではなかったが、とにかく2時間近くの番組を最後まで聞いていた。

 だらだらと時間過ごしてたので、全然集中しておらず細かなところはあやふやがだ、とにかく久しぶりに交響曲を聞いた気がする。そしてこうして部屋でラジオを聞きながら、今回の北海道の地震による停電のニュースでも感じたのだが、あらためてラジオの存在は大切に思えていた。何かあったら電池で動くラジオが常にあること。今モノを減らしつつある最近ではあるが、これは必要なものだから減らす必要もないだろう。そんなことを考えながら、ゆらゆらとFMからの音楽を聞き流すように耳にしていた。

9月15日 NHK-FM 「N響演奏会」より
ヨハン・シュトラウスII世/喜歌劇「こうもり」序曲ほか
マーラー/交響曲 第4番 ト長調
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