SSブログ

ヴァン・モリソンのライブ盤 [昔聞いたアルバム]

 好きなミュージシャンという意識はなかったが、改めて振り返ってみると結構聞いたのが、ヴァン・モリソンかもしれない。
 60年代後半から70年前半の名盤といわれる「アストラル・ウィークス」、 「ムーンダンス」、「テュペロ・ハニー」あたりはもちろんだが、とりわけよく聞いたのは1987年以降の作品だった。きっかけとなったのは1987年発表の「ポエティック・チャンピオンズ・コンポーズ」だった。インスト曲のサックスがとりわけ印象に残り、その後「アヴァロン・サンセット」 (1989年)、「エンライトンメント」 (1990年)、「トゥー・ロング・イン・イグザイル」 (1993年) の3枚はよく聞いてた記憶がある。70年代の作品には躍動感があるが、80年代後半以降の作品には深みのある声が印象的だった。聞いてると、そのがっしりとした声に包み込まれる時間があり、当時何度か聞いていた。

 そんな中で、やはりライブ盤はどれも聞きごたえがあるが、今回は「ナイト・イン・サンフランシスコ - A Night in San Francisco」 (1994年)を書いてみたい。
 70年代の屈指のライブアルバムであり、彼の音楽の魅力に触れる「魂の道のり - It's Too Late to Stop Now」 (1974年)は間違いなく彼の代表ライブアルバムで、ロックやR&Bなど様々なエッセンスがちりばめられ、最後の方は尋常じゃないテンション盛り上がる。まるでゴスペルのようにシャウトしまくり、圧倒されたライブ盤であるが、その20年後に発表されたライブ盤には、また違った魅力が詰まっている。
 若さからくるエネルギーや勢いは若干後退してはいるが、それに代わってナチュラルで、懐の深い音楽がゆったりと流れる川のように感じられる。バンドメンバーそれぞれが個々の特色を寄せ合い、心地よい、時に跳ねるように、時に緩やに、曲によって表情はいかようにも変化しながら、グルーブのある音が常に感じられる。

 そしてこのアルバムには前作「トゥー・ロング・イン・イグザイル」でのジョン・リー・フッカーとの共演があったことも関係してたのだろう、ジュニア・ウェルズ、ジョン・リー・フッカー、ジミー・ウィザースプーンらの大御所的ブルースミュージシャンのゲスト参加があり、これがまた音楽の原点に触れるような深みを添えて、誠に味わい深い。
 
 CD2枚組で計22曲、150分を超える長丁場。選曲は当時の近年の曲中心に、キャリア代表作やブルース曲なども万遍なくちりばめられる。しかも自作以外の古い曲をメドレーに織り交ぜるので、22曲と書いたが実際はもっと多い。例えば後半の14分を超える「ロンリー・アヴェニュー/4クロック・イン・ザ・モーニング」の演奏には多くの曲が引用※され、こうした各種の引用を含めると合計40曲近く登場してるようだ。自分でも知らないR&Bやブルース曲も多く、ある種音楽ヒストリーを回顧しながら、音楽に対するリスペクトや愛情、懐の深さを感じさせる。

 このCD数年ごと、思い出したように何度か聞いてきたが、心地よさが横たわり、聞くたびに発見もある。そして退屈とは無縁の音楽の豊かさに包まれる、そんな時間が毎回ある。

CD:「ナイト・イン・サンフランシスコ」(A Night in San Francisco)/Van Morrison 1994

※ 「ロンリー・アヴェニュー/4クロック・イン・ザ・モーニング」の演奏に引用登場してくる曲

・ロンリー・アヴェニュー - (Doc Pomus)
・ビー・バップ・ア・ルーラ - (Gene Vincent, Bill Davis)
・4オクロック・イン・ザ・モーニング - (V. Morrison)
・ファミリー・アフェアー - (S. Stewart)
・ユー・ギヴ・ミー・ナッシング・バット・ザ・ブルース - (V. Morrison)
・ホエン・ウィル・アイ・ビカム・ア・マン - (Erica Ehm, Tim Thorney)
・スーナー・オア・レイター - (Vernon, Ross, Shaw)
・ユー・ギヴ・ミー・ナッシング・バット・ザ・ブルース - (V. Morrison)
・ダウン・ザ・ライン - (Roy Orbison)
コメント(0) 

ブルックナー:交響曲第5番/ 神奈川フィル [コンサート(オーケストラ)]

 今年はブルックナーの生誕200周年。
 ということで2024年は各地でブルックナー交響曲が取り上げらる回数も多いようで、こちらも例年より聞く回数は増えそうだ。現時点で今月2回、9月にも2回の合わせて計4回聞く予定が既にあり、更にあと一回追加も予定しており、そうすると年間5回になるかもしれない。
 あらためて年間ごとでブルックナー交響曲聞いた過去記録を集計してみたところ、これまでの年間最大回数は3回だったので、どうやら今年は記録更新となりそうだ・・・。

 さて、今月はブルックナー月間の第一弾にあたり、先週の交響曲第3番(日本フィル、サントリーホール)に引き続き、昨日は第5番を聞いてきた。2週連続でブルックナー交響曲である。

 第5番はこれまでの体験もあるので、曲の外観、長い道のりや道程、起伏にある程度ついてゆける気もするが、7年ぶりである。とにかく80分近い長い曲なので、道に迷わないようにと思いつつ、今回は最終楽章のフィナーレを強く意識して臨むことにした。
 
 最後の結論や答えをまず念頭に置き、そこからプロセスを組み立てること。これは自分自身の物事に対するアプローチの基本にも重なり、問題や課題があると、まずこれは最後どういう結果、結論なるかを意識し、そこから必要な時間、工程を組み立ててゆく。しかしデメリットも多く、とにかく行動反応が常に遅い。即断即決したり、パッと考えすぐ行動できないので、それを実行できる人をうらやましく思うこともあるが、選択肢をあれこれ吟味しすぎ、決断は延々と先延ばしする資質は変えられない気もする。

 そんなことを考えてたら、交響曲も最後のフィナーレを意識することで、そこにたどりつくまでの長い工程を聞くという、アプローチもうまくゆくだろうかと思い、今回取り組んでみた。

 この日の公演は休憩なしの一曲だけのプログラム。
 フィナーレ目指し、長い曲を聴き始める。第1楽章に登場するいくつかの主題、金管楽器の音が抜けるように非常によく伸びていた。ゆっくりめの第2楽章、スケルツォの第3楽章では、反復が多くなるが、意識は最終楽章に置き、反復と長い過程はやや俯瞰しながらやり過ごす。開始から50分以上過ぎ、ようやく最後の長大な最終楽章が始まった。この楽章は主題の再現、回想ということがよく解説に書かれてるが、聞いてると、曲全体のダイジェスト版としてこれまでの振り返りとまとめの楽章、という印象も受けた。

 主題の回想からクラリネットによる動機が入ると、回想の主観から、さっと客観的な視野にずれる感じがある。そしてこの楽章の展開部は、コラール主題のフーガが続く。以前から、この長いフーガの部分がどうもよく位置付けられなかったのだが、今回フィナーレを念頭に置いていると、ここは最後の圧倒的なスケール感との対比、そしてフィナーレに向かう導入点でもあるのかとも思った。
 そして第4楽章が20分近く経過したあと、フィナーレが始まる。残り約5分間、ここから圧倒的なクライマックスを形作られる。主題が再現されながら、曲の抱えていたエネルギーがここにきて放出されてゆく。テンポも上がり、リズミックさ、動的で広がりを持ち、全開放されてゆく。ここまでの長い長いプロセスがこうして集結するかのよう。

 80分近い曲のラストクライマックスに広大な空間に広がる音。長い道のりを超え、この曲のゴールに近づいてゆく。
 大きなうねりの中に取り込まれると、自分の存在は縮小し、小さきものに思えてくる、そんな圧倒的なスケールの海原に飲み込まれてゆく。そんな余韻が残った。

指揮:沼尻竜典/ 神奈川フィルハーモニー管弦楽団東京交響楽団
2024/4/20 横浜みなとみらいホール
コメント(0) 

レニー・トリスターノ [ジャズ関係]

 レニー・トリスターノというジャズ・ピアニストの、その独自すぎる音色はジャンル枠は超え、ジャズというカテゴリーに閉じ込めておくこともできない、と思ってきた。

 その音は鮮烈で、ゴツゴツとした粗い物質、叩きつけてくるようなタッチ、ザクザクとした粗削りな触感を想起させ、滑らかさとは対極の音がそのピアノから弾かれてくる。ジャズの文脈でよく「トリスターノ派」とか「クール・ジャズ」とかという言葉とともに言及されているようだが、スウィング感より硬質なリズミック感が前にでてきてる音、と感じる。

 ただ、この人の主要な作品は極めて少ない。サイドメン参加とかライブ盤とかはあるのだが、存命中にでたリーダーとしてのアルバムはわずか2枚。

1955年の『鬼才トリスターノ( Lennie Tristano)』
1962年の『ニュー・トリスターノ(The New Tristano)』 

 このうち最初に聞いたのは「鬼才トリスターノ」の冒頭曲「ライン・アップ」。この曲を聞いたとき、その乾いた硬質なピアノ音に驚き、インパクトを受けた。ドライで柔らかな音色から乖離したその音を耳にすると、それまで聞いてきたジャズピアノの作品とあまりの違いに、戸惑いつつ、強いインパクトがあった。
 
 そしてこのアルバムの特徴として、前半と後半の著しい差異があるということ。前半はトリスターノワールド全開で、わずか4曲目とはいえ、ガツンとした衝撃がある。4曲中、ソロ演奏2曲とトリオ演奏2曲という形だが、このトリオ演奏についても通常とかなり違う。共演者にドラムとベース奏者の名前はあるが、ほぼトリスターノの世界を後方サポートするだけで、ドラムとベースが前面に出ることなく、ソロも介入する余地もないまま、トリスターノだけが突っ走る。

 しかし、後半は全く違い、前後半で別物の2部構成となっているのだ。
 後半の残りの5曲は、リー・コニッツらとのカルテットによるライヴ音源が収録されているのだが、前半のドライで乾いた硬質感のある音は影を潜め、その落差に拍子抜けするくらいの違いがある。ただし、よくよく聞いてると、滑らかさには程遠いタッチは感じられる。

 そして、一般的なジャズの演奏のお約束事的展開とどうも違う曲がある。例えば「You go to my head」では最初にコニッツのアルトサックスがメロディーを奏で、中間部からトリスターノのピアノに移り、そしてそのまま最後までトリスターノが弾ききる。ピアノソロに受け渡した後、最後はサックスに戻り・・・という展開が欠落したまま曲が終わる、唐突で何か消化不良を感じさせるこの終わり方。5曲中2曲がサックスに戻ることなくピアノで終わってしまう、これもまた不思議な違和感を生じさせる。
 
 この前後半の内容には埋めきれない落差、温度差があるとはいえ、やはり前半4曲だけでもあり余り過ぎるくらい大きな価値がある。トリスターノのドライで硬質な、粗いメッシュの、ゴツゴツしたタッチのピアノの音色は、他のピアニストとは全く違う、その音に触れることができるのだから。
 しかも50年代のこの録音で、すでに前半4曲で多重録音とかテープの速度変更など試みてることから、おそらく現代の録音環境で作成してたら、どんなことやったのだろう、そんな空想も浮かんでくる。

 蛇足ながら、このアルバムタイトルは「Lennie Tristano」で、邦題は「鬼才トリスターノ」と変換されている。当初すごいタイトルだなと思ってたが、最近これは結構内容に合っており、適切な題名なのかもしれない、と思うようになってきた・・・。

CD:「鬼才トリスターノ(Lennie Tristano)」(Atlantic 1955年)
コメント(0) 

シューベルト弦楽四重奏曲 第13番/キアロスクーロ・カルテット [コンサート(その他)]

 3月は気温上がらない日続いたが、月末に気温が急上昇。その日はコンサート予定で外出の日だったが、外出してみると思ってたよりはるかに暑い。結局駅までの途中、今年初めて半そでになる。冷え性と寒がりの自分がこれだけ暑さを感じるということは、一般的な人はもっと暑さを感じてただろう、と思いながら、ここ数年こうした急激な寒暖差は身体の対応が難しくなってると痛感するばかり。

 この日は、初めて聞く、キアロスクーロ・カルテットの演奏。
 ガット弦&ノン・ヴィブラート、低めのピッチで演奏するとのことで、音色はいつもと違うものになると予想してたが、それ以外にも違いはあり、チェロ以外が立奏、譜面はタブレットということで、視覚的にも違った。

 冒頭曲にはパーセルの作品。弦楽四重奏公演でハイドンより前の作品が取り上げられたのは記憶にないので、大変珍しい選曲。前半2曲目はハイドン弦楽四重奏曲「冗談」。最終楽章のユーモラスな演奏は終わったと思わせつつ、この曲はやはり実演で聞いてこそ面白さがあり、まさに「冗談」の表現にやられた、というところ。

 後半はシューベルト弦楽四重奏曲 第13番「ロザムンデ」。この曲の第2楽章は声高に語ることなく、シューベルトの歌心あふれる楽章だが、そうした心情が音色にうまく反映していたと思う。

 ガット弦とかピッチの低さから、やはり音はくぐもった感じがあり、ぐっと広がることはない印象だった。普段と違う音色だったこともあり、やはり無意識に慣れ親しんだ音色と比較するので違和感は確かにあった。そんな中、聞くにつれ、外側に向かって伸びやかに広がってゆくというより、音のイメージは内側に入ってくるような感じがあった。音が内側に、というのも妙な表現で、自分でも詳細な説明ができないのだが、どういうわけかイメージ上でそういう風に感じていた。
 そしてその内側に方向性をもった音に、どこか親密な会話のようにも聞こえてきた箇所もあった。

 生活レベルでも、毎日の繰り返しの手順や順番がいつもと違たったりすると、違和感が生じることがある。また、例えば駅までの歩く道を突然途中で曲がるとか、よく食べる店で急に注文したことのないメニューを頼んでしまうとか、部屋のカバンの置き場所を変えるとか、無意識に固定化されていた冷蔵庫内のモノの位置を変えるとか。そうした些細な変化は、アクセントとなり、普段気が付かなかったことに気が付くことがある。
 ちょっとした変化だけど、日々の生活では案外大切なことでもあるな、などとコンサートの感触から少し逸脱しながらも、終演後にそんなことをつらつら考えていた。


2024/3/31 フィリアホール キアロスクーロ・カルテット

パーセル:4声のファンタジアより 第7,8,11番
ハイドン:弦楽四重奏曲 Hob.III:38「冗談」
シューベルト:弦楽四重奏曲 第13番 D804「ロザムンデ」
コメント(0)