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ブルックナー:交響曲第5番/ 神奈川フィル [コンサート(オーケストラ)]

 今年はブルックナーの生誕200周年。
 ということで2024年は各地でブルックナー交響曲が取り上げらる回数も多いようで、こちらも例年より聞く回数は増えそうだ。現時点で今月2回、9月にも2回の合わせて計4回聞く予定が既にあり、更にあと一回追加も予定しており、そうすると年間5回になるかもしれない。
 あらためて年間ごとでブルックナー交響曲聞いた過去記録を集計してみたところ、これまでの年間最大回数は3回だったので、どうやら今年は記録更新となりそうだ・・・。

 さて、今月はブルックナー月間の第一弾にあたり、先週の交響曲第3番(日本フィル、サントリーホール)に引き続き、昨日は第5番を聞いてきた。2週連続でブルックナー交響曲である。

 第5番はこれまでの体験もあるので、曲の外観、長い道のりや道程、起伏にある程度ついてゆける気もするが、7年ぶりである。とにかく80分近い長い曲なので、道に迷わないようにと思いつつ、今回は最終楽章のフィナーレを強く意識して臨むことにした。
 
 最後の結論や答えをまず念頭に置き、そこからプロセスを組み立てること。これは自分自身の物事に対するアプローチの基本にも重なり、問題や課題があると、まずこれは最後どういう結果、結論なるかを意識し、そこから必要な時間、工程を組み立ててゆく。しかしデメリットも多く、とにかく行動反応が常に遅い。即断即決したり、パッと考えすぐ行動できないので、それを実行できる人をうらやましく思うこともあるが、選択肢をあれこれ吟味しすぎ、決断は延々と先延ばしする資質は変えられない気もする。

 そんなことを考えてたら、交響曲も最後のフィナーレを意識することで、そこにたどりつくまでの長い工程を聞くという、アプローチもうまくゆくだろうかと思い、今回取り組んでみた。

 この日の公演は休憩なしの一曲だけのプログラム。
 フィナーレ目指し、長い曲を聴き始める。第1楽章に登場するいくつかの主題、金管楽器の音が抜けるように非常によく伸びていた。ゆっくりめの第2楽章、スケルツォの第3楽章では、反復が多くなるが、意識は最終楽章に置き、反復と長い過程はやや俯瞰しながらやり過ごす。開始から50分以上過ぎ、ようやく最後の長大な最終楽章が始まった。この楽章は主題の再現、回想ということがよく解説に書かれてるが、聞いてると、曲全体のダイジェスト版としてこれまでの振り返りとまとめの楽章、という印象も受けた。

 主題の回想からクラリネットによる動機が入ると、回想の主観から、さっと客観的な視野にずれる感じがある。そしてこの楽章の展開部は、コラール主題のフーガが続く。以前から、この長いフーガの部分がどうもよく位置付けられなかったのだが、今回フィナーレを念頭に置いていると、ここは最後の圧倒的なスケール感との対比、そしてフィナーレに向かう導入点でもあるのかとも思った。
 そして第4楽章が20分近く経過したあと、フィナーレが始まる。残り約5分間、ここから圧倒的なクライマックスを形作られる。主題が再現されながら、曲の抱えていたエネルギーがここにきて放出されてゆく。テンポも上がり、リズミックさ、動的で広がりを持ち、全開放されてゆく。ここまでの長い長いプロセスがこうして集結するかのよう。

 80分近い曲のラストクライマックスに広大な空間に広がる音。長い道のりを超え、この曲のゴールに近づいてゆく。
 大きなうねりの中に取り込まれると、自分の存在は縮小し、小さきものに思えてくる、そんな圧倒的なスケールの海原に飲み込まれてゆく。そんな余韻が残った。

指揮:沼尻竜典/ 神奈川フィルハーモニー管弦楽団東京交響楽団
2024/4/20 横浜みなとみらいホール
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