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ハイドン交響曲集(続き)~ヨーゼフ・マルティン・クラウスの交響曲 [ハイドン]

 9月にハイドン交響曲のボックスセットのこと書いた後、続きをすぐ書くつもりだったが遅れてしまい、今回ようやく書いた。こういうケースは一旦手を止めると再開が結構面倒になることが多いので、今後は勢いのあるうちに連続してやろうと思った。
前回分: https://presto-largo-roadto.blog.ss-blog.jp/2023-09-03

 さて、今回のハイドン交響曲のボックスセットには、特徴的な構成として、他の作曲家作品も入っている点がユニークである。同時代的な作曲家の音楽との関連性等の紐づけただろうが、そのうち何曲かは意図的めいたものも感じさせられる。

 例えば、10枚目は:「一日の時の移ろい」と包括タイトルを付し、ハイドン交響曲第6番~8番(通称「朝・昼・晩」)が入ってるが、ここに組み合わせたのがモーツァルト「セレナード第6番」(通称:セレナータ・ノットゥルナ(夜のセレナーデ)。ということで、一日のサイクルに夜を加えて統一させたのだろう。
 また、7枚目は「宮廷劇場とその監督」ということで、モーツァルトの劇付随音楽を加えてるが、このCD収録の4曲にはすべて「Impresario」という項目がついている。「Impresario」という言葉は知らなかったが、興行主という意味らしく、ここでは宮廷劇場で監督した人物があった作品を集めたようだ。

 こうした関連付けの中の曲でインパクトが強かったのは、モーツァルト:「エジプトの王タモス」という作品。この作品は初めて聞いたが、デモーニッシュな音に驚いた。調べてみると、改訂があったものの初稿は1773年ということで、10代の作曲作品のようだが、後のオペラ「魔笛」との関連性も感じられる。実際聞いてみた音楽には、ドン・ジョバンニのオペラで聞こえてくる音の片鱗があって、なかなか惹き付けるものがある。

 そして、5枚目にはヨーゼフ・マルティン・クラウスのハ短調交響曲VB142が収録されている。

 クラシック聞き始めの頃、ナクソスレーベルでこの曲を聞いたのだが、あれから10年以上経過し、今回聞き直してみると初期の印象とは違った感じも受けた。この短調曲に、ハイドンの疾風怒濤時期の短調作品(例えば交響曲39番や45番あたり)を並列的に配列してみると、その暗いドライブ感を伴った音楽にはどこか共通点も感じられる。

 「スウェーデンのモーツァルト」の異名があるように、クラウスのハ短調交響曲にはモーツアルトの交響曲第25番あたりを想起させる。ただクラウスの曲のほうがより沈むような深さの中に、速さと鋭利さを潜入させている印象がある。冒頭の導入部はより底の深いところに潜む沈痛さのような感情もあり、第三楽章には抑制しがたい緊張感が走るなど、全体的にも奥行きの深さを感じさせる。

 モーツアルトとほぼ同年の生涯を辿ったクラウス(1756年~1792年)だが、調べてみると、どうやらこの曲はハイドンに献呈された曲とのことだった。なるほど、この曲とハイドンの関連ここにあったのか。献呈されたのが1783年ということからすると、このCDのクラウスの曲の前に配置されたハイドン交響曲第80~81番は、時期的にも重なることになり、何か相互間の影響もどこかにあったのかもしれない。

 ハイドンだけにとどまらず、こうした同時代の作曲家作品を配置することで、より多角的に見えるものがあった。前後の時代背景など少し探りながら、あれこれ想像も交えつつ、そうすると面白さは増加するようだ。

 なお、参考までに、このCDボックスにおけるハイドン交響曲以外の作品は以下の通り。

● グルック:ドン・ジュアン、または石像の宴~無言舞踏劇(1761年パリ版)
● W.F.バッハ:交響曲ヘ長調 ~弦楽合奏と通奏低音のための
● チマローザ:カンタータ『宮廷楽長』
● クラウス:交響曲ハ短調 VB 142
● モーツァルト:劇付随音楽『エジプトの王タモス』 K.345/336a(抜粋)
● バルトーク:ルーマニア民族舞曲集
● 作曲者不詳:ソナタ・ユクンダ(愉しき奏楽)
● モーツァルト:セレナード第6番ニ長調 K.239『セレナータ・ノットゥルナ』
●ハイドンの交響曲以外の作品
    歌劇『無人島』 Hob.XXVIII-9~序曲
    アリア『ひとり、物思いに』 Hob.XXIVb-20
    ベレニーチェの告別の場面(レチタティーヴォとアリア) Hob.XXIVa-10

CD : HAYDN 2032 - ハイドン交響曲全曲録音シリーズ 1st BOX (Vol.1-10)
指揮:ジョヴァンニ・アントニーニ
イル・ジャルディーノ・アルモニコ 、 バーゼル室内管弦楽団
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ハイドン交響曲集/ジョヴァンニ・アントニーニ  (その1) [ハイドン]

 9月に入ってもこの猛暑どこまで続くのかわからないが、昨日は一カ月半振りにコンサート外出。夏場はジャズとか中心に聞いて、ブログでもクラシック音楽の更新がない状態ではあるが、全く聞いてなかったわけでもなかった。4月頃から取り掛かっていたハイドン交響曲集10枚組のボックスセット、途中進捗しない期間があったが、ようやく先月にひと通り耳を通すことができた。
 じっくり聞けた部分もあったが、暑さで集中力の欠落も度々。さらに大量の作品を聞いてると、似たような曲調、反復、まったりした空気の領域には、すり抜けてくような時間も実際あった。ということで、ひとまず「耳を通した」という感覚もあるが、こうして一旦聞き終えると達成感は相当あった。とにもかくにも、最低740分間(約12時間半)は要したのだ。そしてやり切った達成感っともに全部なぞったからこそ、そこから見えてくるものも、多分ある。

 さて、このボックスセットであるが、2032年にハイドン生誕300周年を迎えることを見据えた指揮者ジョヴァンニ・アントニーニの壮大なプロジェクトの前半部分となっている。現在も進行中であるが、取組開始は2013年でその後2019年までに録音された10作品分をボックス化したもの。今回の10枚については、パリ交響曲以降の作品は収録されておらず、主に初期から中期あたりの曲集となっており、さらにCDごとに下記のようなサブタイトルが付されている。

CD1:『ラ・パッショーネ~情熱と受難』
CD2:『哲学者』
CD3:『ひとり、物思いに』
CD4:『迂闊者』
CD5:『才気の人』
CD6:『哀歌』
CD7:『宮廷劇場とその監督』
CD8:『ラ・ロクソラーナ~ハイドンと東方』
CD9:『別れのとき』
CD10:『一日の時の移ろい』

 ハイドン交響曲に定着してる副題をそのまま使ったもの(交響曲第22番「哲学者」、第60番「迂闊者」、第26番「哀歌(ラメンタツィオーネ)」など)もあるが、関係性をふまえた意味深なタイトルもある。更にこのプロジェクト、完全にハイドンだけに限定しておらず、各CDにハイドン交響曲以外の作品も入ってる。これがまた面白い選曲。

 いろいろ感想はあったが、今回はパリ交響曲直前期の作品は特に気になった。調べてみるとパリ交響曲の手前に3つの交響曲をセットで作ったようで(第76~78番、第79~81番)、今回のボックスセットには第79~81番が全曲入っていた。

 この3曲、他とは少し印象が異なる気がする。
・交響曲第79番ヘ長調・・・何か他の曲とは違う感触があり、第1楽章や第3楽章は独特な曲調で、ほかの曲とは違いが感じられた。
・ 交響曲第80番ニ短調・・・短調のトーンは第1楽章で色濃くでてくるのだが、第4楽章は長調的で終わり、その点の統一感がやや弱いが、不思議な感じが残る。中期の短調曲でこういうタイプの展開はあまり見かけない気がする。
・ 交響曲第81番ト長調・・・一回目聞いた時はさらっとしてるかと思ったが、聞き直すと、スムーズな流れの中に、変化の幅があり、特に第2楽章の途中での大胆な変化は印象的。統一感もある。

 この3曲セットの作曲の経緯はわからないが、それまで長きに渡ってエステルハージ家のための音楽だった状況や環境が変化し、外に向けての出版作品となったらしい。大量の初期・中期を聞き続けていた中で、この第79番~第81番はそれらに比べ何か違う感触がある。変化の幅、広がりに新鮮な響きが見え隠れしているようで、やはりエステルハージ家から聞き手を外部に転換させたことは、作品自体に影響したのだろう。エステルハージ家という閉ざされた空間から外に向かっていこうとする、何か躍動感の片りんが垣間見えるそんな作品に思えた。

(次回に続く)

DSC_1405.JPG

CD : HAYDN 2032 - ハイドン交響曲全曲録音シリーズ 1st BOX (Vol.1-10)
指揮:ジョヴァンニ・アントニーニ
イル・ジャルディーノ・アルモニコ 、 バーゼル室内管弦楽団



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ハイドン交響曲集/トレヴァー・ピノック&イングリッシュ・コンサート [ハイドン]

 今年後半からハイドン作品を重点的に取り組んでいるが、先日は交響曲集に着手。後期作品群はある程度耳にしているが、初期から中期はほぼ未着手のため、このあたりを埋めるべく候補を絞ってみた。全集までいかないが初期や中期を取り上げてるCDのBOXを探し、ネヴィル・マリナーとトレヴァー・ピノックのどちらにしようかと、最後まで大いに悩んだが、最終的に選んだのはトレヴァー・ピノックが録音した「疾風怒濤期」の交響曲集となった。

 実はこの購入の前に、ジョヴァンニ・アントニーニがハイドン生誕300周年に向け交響曲全曲録音プロジェクトが進行中という話を知り、注目していたのだが、そんな中、既に録音されていた先行10枚がボックスお買い得価格で発売となった。内容的には10枚組に収録されていた31曲はすべてパリ交響曲以前の作品(81番以前)だったの、まさにニーズにも合致し、話題性もあり、これは逃さずゲット。早速聞いてみたのたのだが、数曲聞いた時点で一旦中断することにした。

 これはどういう理由だったかといえば、クラシック音楽を聞き始めて間もない時期に直面したことに関係している。確か2007年くらいだったか、ベートーヴェン交響曲を数曲聞いていたのでそろそろ交響曲全集を買おうと思い、雑誌や本など参考尾にある程度評価が高く、安価なセット価格、という条件のもと探してたら、ちょうどデイヴィッド・ジンマンのベートーヴェン交響曲全集がよさそうだったので買うことにした。雑誌や本など読むと今まの版と異なり新鮮らしい、等々とのことで期待しながら人生で初めて手にしたベートーヴェン交響曲全集だったのだが、実際驚きとか新鮮さや違いというものはわからなかった。確かに曲はなぞることができ、初めて聞く曲もあり、こういう感じなんだなと。しかしその時点の自分にクラシック音楽の経験値がなく、比較対象できるような音楽の蓄積が無かったので、微妙な差異などもわかるはずがなかったのは当然のことだったと思う。
 それから数年間コンサートでベートーヴェンを何度も聞き、CDでも何種類かの古い録音もの(フルトヴェングラー、クリュイタンス、トスカニーニなど)を中心に聞き続け、かれこれ7~8年過ぎたころ、ふと在庫場所に眠ってたジンマン指揮の演奏を再度聞き直してみた。その時になって初めてその差異、ああ確かにこれは違うな、と気が付いた。時系列的にオーソドックスな演奏を最初に聞いたあと、こうした新しいく取組の奏法による演奏を聞くほうが、より深く感じられるのでは、とこの時思った。

 ということで、今回のハイドンについてもピリオド楽器による古楽器集団イル・ジャルディーノ・アルモニコ等の演奏を含んでいるようあなので、ここはちょっと迂回して、もう少し古い時代に録音された演奏を先に聞いておいたほうがより深く感じられるのではと思い、30年ほど前の1988-89年に録音されたトレヴァー・ピノックを先に聞いておくことにした。

 CD6枚組に「疾風怒濤期」の交響曲19曲が入ってるので、一日1~2曲づつ各曲の感想を簡単にメモしてしながら聞き進めていった。最後まで聞き終えて、自分のメモ評価の高かった曲は、以下のようになった。
交響曲第39番ト短調
交響曲第43番変ホ長調『マーキュリー』
交響曲第44番ホ短調『悲しみ』
交響曲第45番嬰ヘ短調『告別』
交響曲第49番ヘ短調『受難』
 一度しか聞いてないので、この後印象は変わるのかもしれないが、「疾風怒濤期」という特性の中、全19曲中短調曲は6曲と短調曲が多い時期であるので、こられの短調曲には印象的な曲が多かった。例えば第44番は第1楽章の表情の多様な変化幅は大きく、第3楽章で穏やかに戻した後、ラストで陰のあるトーンで走ってゆく感じがあり、非常に魅力的なハイドンの曲だと思う。第45番『告別』は以前コンサートでも聞いたことがあり、おそらくこの時期の作品でもっとも有名かと思うが、改めて聞き直してみると第1楽章の強弱アクセントやアップダウンの大きさなど大きな特徴がみえる。一方長調曲は似たような曲調も多く、特にハ長調あたりは結構雰囲気が近くなり、どっかで聞いた感じの曲調もあった。

 ひと通り聞いてみて、この後少し時間を寝かせてからあと一回聞き直したのち、ジョヴァンニ・アントニーニのほうを聞く予定。いくつかの曲は聞き比べもできるので、楽しみは来年に持ち越ししておこう。

CD:ハイドン「疾風怒濤期」交響曲集/トレヴァー・ピノック&イングリッシュ・コンサート(6CD)1988-89年録音
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プロ・アルテ四重奏団/ ハイドン:29の弦楽四重奏曲集 [ハイドン]

 購入から半年以上経過し、ようやくひと通り聞き終えた。
 購入直後はすいすい聞いていったのだが、途中でハイドンのピアノソナタ集聞きだしてしまい、中断状態に陥ってたが、今月になり復帰、昨日ようやく聞き終えたところ。全7枚組のCDセットで、ベルギーのプロ・アルテ四重奏団が1931年~1938年にかけて録音したもの。

 このセットはハイドンの弦楽四重奏曲のうちから29曲がチョイスされているが、全作品から幅広く、まんべんなく選択された感じで、例えば作品番号64の6曲セットからは、全曲ではなく、3曲だけ(Op.64 No3、No4、No6)取り上げられている。

 これまで聞いたのは一部の作品番号(作品番号20、64、76、77)くらいだったので、それ以外は今回初めて聞く作品となった。最初はじっくり聞いてが、似たような曲調もあり、まずは今回感触を得たというところか。まだまだ繰り返し聞かないとつかめないところもあるなと思う。

 そんな中で、作品番号74の3曲が印象的だった。調べてみると、これは第2アポーニー四重奏曲に該当してたが、今回のセットではこの3曲すべてが収録されていた(なお第1アポーニー四重奏曲からは1曲だけだった)。この3曲、各曲ごとの特徴や輪郭も異なり、活動的な感じがした。例えば、Op74 No3の第1楽章ではかなりアップダウンもあり、変化や表情が細やかに動く。そして「騎士」の愛称の第4楽章はスピーディーに展開、活発な動きが魅力的。

 演奏はストレートな印象である。ここまでハイドンの弦楽四重奏曲はほとんどピリオド楽器による演奏で聞いてきたこともあり、こういう時代の演奏とか聞いたことが少なく、最初はいつもと違った感触はあったが、聞き進めてくと徐々に慣れてきた感じもあった。
 また相当古い時期に録音されたものであるにもかかわらず、何でも2017年の最新リマスターが施されており、音質は予想以上によかった。今まで1930年代の録音ものを聞いた経験は少ないが、それらの音質と比較してもクリアな印象がある。先のOp74 No3「騎士」は1931年の録音であったが、これだけ古い録音とはいえ、くぐもったような質感もなく、驚かされた。

 今回今まで聞いたことのなかった作品を古い録音時期のもので聞いたことで、ハイドン弦楽四重奏曲の体験に広がりを与えられた気がする。これからまた違った演奏も聞いてゆきたいな。

HAYDN 29 String Quartets (7CD) / PRO ARTE QUARTET

 
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ハイドン:太陽四重奏曲集/ウルブリヒ弦楽四重奏団 [ハイドン]

 最近、部屋で聞く音楽はハイドンを選択することが多い。
 もっともその傾向は今に始まったわけではないが、部屋で聞く音楽の選択肢が狭まっているのか、最近はさらにその比率が高くなってきたという感じ。

 ハイドンの弦楽四重奏曲作品20「太陽四重奏曲」はこれまでモザイク四重奏団のCDで聞いてきた。ピリオド楽器ならではの澄み切った音色が印象的である。しかし、飽きてきたわけではないのだが、徐々にさらっと流れすぎてしまうような感じが出てきた。これは結局、比較対象がないことに起因することなのだろうと思い、もっとオーソドックスな演奏を聞いてみたく、昨年ウルブリヒ弦楽四重奏団が1970年に録音した作品集を入手し聞いてみた。

 最初聞いたときは戸惑いが残った。この作品集はピリオド楽器の演奏しか聞いたなかったので、その差異が予想以上に大きかったのだろう。物足りなさというわけではなく、全体像の手触り感になじみが薄いというのか、自分にフィットしてないという印象が残った。それは同じ作品集で、全6曲2枚組のCD、という同一内容ではあるのに、演奏時間が大きく異なり、
モザイク四重奏団146分 ⇔ ウルブリヒ弦楽四重奏団105分
とおよそ40分もの差があった点も影響したような気がする。

 一年程の期間、そのまま置いていたのだが、先日ウルブリヒ弦楽四重奏団の演奏を聞き直してみた。あまり感触に変化があるとは思ってなかったが、驚いたことに自分の中に自然と流れ込んできて、これはいいなと思った。最初聞いたときにタイミングがあわず、集中力が欠けてたのか、いや何かが変化したのか、よくわからないがとにかくうまく音楽が適合してきた。

 そうして、今度は再びモザイク四重奏団の演奏を聞き比べてみたが、違いが際立ち、鮮烈な音色による肌触り感は別格だな、と改めて実感した。聞き終えて、どっちのタイプが好きなのだろうかと考えたが、結局のところどっちも好きなようである。比較することで、単独演奏ではわからなかった部分が、浮き彫りになり、相乗効果というのか、曲の解釈の広がりも生まれてきたようだ。

CD: ハイドン:太陽四重奏曲集・モザイク四重奏団(1990、1992)
    ハイドン:太陽四重奏曲集・ウルブリヒ弦楽四重奏団(1970)
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ハイドンの音楽:ロプコヴィツ四重奏曲 [ハイドン]

今月に入って、外出する人も増え、徐々に動きはでてきたようだが、まだ本格的な再開までには時間がかかりそうな気もする。個人的には、店舗休業・時短により、出社時の昼食、帰宅時の買い物の選択肢が少なくなり、このあたりの不便さは痛感した。とはいえ、仕事があったので土日以外は普段と変わりなく通勤・出社してたし、生活上での必要に迫られたこと(ヘアカット、会社の健康診断、運転免許更新とか)も普通にこなし、そうした意味での生活リズムに変化はあまりなかった気もする。

ただ全般的には不安や心配感を常に意識してた気がするので、落ち着きはなかった。テレビニュースも途中から見なくなり、かといって部屋でじっくり音楽聞いたり、集中的に読書してたわけではなかった。紙もの書類のPDF化、モノの整理、落ち着かないときはネットで時間浪費してたり、フワフワと虚ろな時間をやり過ごしていた気もする。

 これからコンサートも開催に向け徐々に動きがあるようだが、海外からの指揮者や演奏者の来日がまだできない状況、ホールでの開催時のガイドライン、そして座席調整などもありまだ時間はかかりそうである。こうしたコンサート予定がなくなったことで、予習のために音楽を聞くことがなくなり、日々気が向いたら音楽聞いて過ごしている。思いつくまま適当に、という感じで。

 とはいえ、方向性がなく、中途半端な気持ちも大きく、今一つ集中力が欠落してる。全体的には、オペラ、交響曲はほとんど聞かなく、室内楽的な小編成ものが多い。そしてピアノ作品より、弦楽器ものが多めかもしれない。

そんな中、先日はハイドンの弦楽四重奏曲を聞いてみた。ロプコヴィッツ四重奏曲(Op.77)のうち、第81番である。
これまでハイドンの弦楽四重奏曲はエルデーディ四重奏曲(Op.76)の6曲、第2トスト四重奏曲(Op.64)の6曲ばかり聞いてきた。これらの曲ばかり聞いて、他の弦楽四重奏曲にはあまり手出ししなかったのだが、さすがに飽きたのか、以前購入したのにほとんど聞いてなかったロプコヴィッツ四重奏曲を今回聞いてみた。

だいぶ前に1回くらいしか聞いてなく、実質的には今回初めて聞く感じだったが、完成された2曲のうち第81番がすごく気に入った。特に第2楽章にはすっと気持ちを寄り添わせることができる。第3楽章のアクセント、そして第4楽章の活発な展開への自然な流れ。とにかく実に音楽の流れがスムーズに、しかも音楽のニュアンスは変化があり、しっくりする。

ハイドンの音楽を聞くと、時折自分の中で調整作用のようなものが働く時がある。方向性が見えにくくなってたり、音楽に向き合えつつあるとき、ハイドンの音楽を聞くとごちゃごちゃしてたものが遠ざかり、シンプルに音楽と対面する感じをもたらせてくれる。この感じはほかの作曲家からは見いだせないもので、だからこそ自分にとってハイドンの音楽はとても有用で、欠かせない対象に感じられるのである。

CD:モザイク四重奏団 ロプコヴィツ四重奏曲Op.77(1989)
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ハイドン/オラトリオ「天地創造」/神奈川フィル [ハイドン]

 7月に入ってから雨の日と低温が続いている。
 昨年は6月下旬から30度超えの日が続き、7月上旬には暑さや寝苦しさでぐったりしてたのだが、今年は全く違う展開となっている。晴れ間も見えず、最高気温も25度未満の日が続き、曇りと雨ばかりで、うまく身体が対応できない感じが続いている。

 昨日もどんよりした曇り空だったが、雨は大丈夫そうなので、傘を持たずに、コンサートにでかけてきた。この日はオラトリアという普段なかなか聞けないジャンルで、今までも数回しか聞いたことがなく、不慣れな分野であるが、今回はいつか聞いてみたいと思っていたハイドンのオラトリアである。ようやく機会到来という感じで、昨日聞いてきた。

 ハイドン作品の合唱曲はミサ曲などCDで聞いてきたが、オラトリアは大曲なので、手を付けてなかった。事前にCD大筋の流れと展開を把握しておいたが、ストーリーの起伏は多くないから、アクセントが少ないような印象だった。

 3部構成で、合唱は男女混成でざっと数えると(たぶん)26名。ステージに字幕はなく、事前に配布した歌詞対訳を見ながら聞いていったが、対訳が手元にあると、今どこで誰が歌ってるかがわかりこれは便利だった。休憩挟み約100分と長丁場の曲であったが、実際聞いてみると、曲の魅力に引き込まれた。

 第1部では、冒頭の音楽に続き、ソロの3名によるアリアと合唱が続いてゆく。メロディーの豊かな旋律が歌い手3名により表現されてゆく。そして合唱は音楽全体に躍動感とエネルギーをもたらすように大きく広がりを与えていった。ハイドンの曲というのは意識しないとさらっと通過することもあるが、よく注意してみると、いろいろ仕掛けが出てくる。自然の荒々しい部分は演奏もワイルドに、流麗な流れがずっと続いてると、時にふとアクセント的に変化せたり、テンポを揺らしたりもする。

 聞く前に気持ちが低下気味で、音楽を聞くコンディションがあまり整ってなく、集中が難しいと思って臨んだのだが、そんな状態の自分をいつの間にか音楽の持つ躍動感が引き込んでいった。特に合唱のもたらす声がハイドンの音楽へ誘導してゆくかのように、気が付くと音楽全体に包み込まれていた。各3部のそれぞれのフィナーレには歌い手とオーケストラ、そこに合唱が加わり大きな展開を見せたが、特に最後の第3部にはフロント3名が場所移動し、合唱とオーケストラ一体となってゆく終曲のラストは本当に素晴らしかった。

 活き活きとした音楽を聞き終え、自分も少しリフレッシュされたようにも感じられた。帰りには、雨が降り始めていたが、傘がなくても大した気にもせず帰路に向かっていった。

神奈川フィルハーモニー管弦楽団 指揮:鈴木優人
澤江衣里、櫻田亮、ドミニク・ヴェルナー、バッハ・コレギウム・ジャパン
2019/7/13 横浜みなとみらいホール

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ハイドン:交響曲第6番、7番、8番 [ハイドン]

 年間で最も忙しい3週間がようやく過ぎた。普段はだらだらとしてるが、さすがにこの時期は期限が迫ってくるので、仕事モードに突入。しかし集中力が必要なこのタイミングで、ドンピシャ風邪をひいてしまった。気温が急低下した日にどうも体調崩し、鼻水止まらなくなる。その後何とかしのいだものの、土曜日の仕事途中で帰宅したのち発熱。月曜日以降会議など控え、日曜日は終日寝て過ごし、月曜日朝なんとか熱が下がり出社。そんなことで、この一週間ずっと鼻詰まり状態の中、霞がかった頭で仕事に対面しながらも何とか過ぎ去っていった。

 そんな状態で音楽はほとんどない生活だった。気持ちも時間も余裕がなかったから、この時期はそういう状況は仕方ない。

 金曜日の夕方、まだまだやること積み残してたものの、とりあえず期日や、早急対応の必要なことを一通りかたずけたところで、数週間ぶりにほっとした。昨日の休みは夕方にジャズや軽めのフュージョンなど聞いて過ごしたが、夜になると遠ざかっていたクラシック音楽も聞いてみようかと思った。選択条件としては、とにかく長い曲や難しい曲はパスし、短めで、さっと聞けるもの。この条件で物色してると、先日テレビ番組を録画した中に、ハイドン交響曲があったので、これを聞いてみる。

 ハイドン交響曲の第6番~8番、通称「朝」「昼」「晩」という作品だが、これはこの状況下でなかなかのチョイスである。曲が短く、颯爽としてることも条件に適合してる。

 この曲はかなり以前にコンサートで一回聞いたことがあるが、それ以来のこと。オーケストラ・アンサンブル金沢の3月におこなわれた演奏会の録画から聞いてみた。
 交響曲第6番「朝」はなんといっても第1楽章のはつらつとした爽快感がいい。清々しい朝の空気も背景に浮かべてみてもより楽しめる。第7番「昼」は第1楽章は活発に始まるが、第2楽章は対比的に突然現れる憂いや悲しみの表現がぐっと押し寄せてきて、印象を深めてゆく。第8番「晩」はこじんまりとした中、最後の第4楽章の動的な展開中、随所に激しさも垣間見えながら進んでいった。

 ハイドンの音楽には音楽の愉悦があると思う。仕事などで忙しく、音楽から離れた時、こうした愉悦感を、はっと気が付かさせてくれるような音楽。平凡で退屈な日々より、音楽を聞く気分にならないような状況下で聞く時、忘れかけてた感覚を思い起こさせる、そんな作用がある。
 こうした効果は今までも何度かハイドン音楽から体験してきたが、自分の中にはあまりない、別の要素を補充してくれる、そんな音楽でもある。

 井上道義指揮の表現豊かで、颯爽とした音楽を非常に楽しめた。一つの曲は20分前後だったが、3曲まとめて聞き終わると一時間弱あった。短い曲がフィットすると思って聞きはじめたのに、トータル1時間聞いてしまったのは、ハイドンの音楽の妙味だろうか。

テレビ:NHK Eテレ「クラシック音楽館」
指揮:井上道義、オーケストラ・アンサンブル金沢
2018年3月19日サントリーホール

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ハイドン交響曲第101番/神奈川フィル [ハイドン]

IMGP0713.JPG 
先週はとにかく落ち着かない週だった。思いがけない事に動揺し、失敗・ミスを引きずったまま抜け出せなく、不安定な気分のまま過ぎてゆく。「覆水盆に返らず」と頭でわかっていても、なかなか事実を受け入れられないまま金曜日へ。この日、仕事の予定が重なっていたところに、問題が突発的に加わり、ジェットコースターのような一日となった。
 あまりに多くの事が起こり、収集つかないまま帰宅。久しぶりに帰宅も夜遅くなったが、結局クールダウンもうまくゆかず、落ち着かない日々は続いたまま、眠りの浅い夜を過ごす。
 
 仕事が忙しい時期に入ってきたが、その一方、最近はずっと過去のロックものCDを整理中で、その分、クラシック音楽を耳にする時間が減少してしまってる。このため数ヵ月間、音楽バランスが変化してるのだが、今の気持ちの落ち着きのなさにそうしたことが影響あるのかないのか定かでないものの、やっぱりどこかでクラシック音楽を聴く時間が不足してるな、とも感じていた。

 そのことを昨日、コンサートでまさに実感してきた。
 久しぶりにハイドンの交響曲を聴いてきたのだが、およそ30分間、たっぷりと音楽に身を任せ、没頭していた。気持ちが集中できないかと思ったが、冒頭のアダージョから、音楽が動き出すともう一気にハイドンの世界にするすると入っていった。
 この曲はCDで結構聞いてるから、展開は知っていたため驚きや発見は少ないかと思ったが、フレッシュな音の響きが心地よい快適さを生み出してゆく。そうした新鮮さが、普段はあまり意識しない、音の細かな動きや変化の模様を、実に楽しくさせる。

 小規模の編成で、個別の音が非常にはっきり浮き上がってくる。ハイドンの交響曲は、形式も明確で、ある程度のレンジの中で動くので、普段でもさらっと聞けるが、こうして鮮度のある音で聴くと、定型的なところも小さな変化も、活き活きとして、実に楽しかった。晴れた空の中、いつものように歩く時、すごく気分がいい時があるが、そうした気持ちよさに近いものが、あっただろう。

 聴き終えると、何かもつれた糸が、自然とほぐれてゆくように思えてきた。とはいえ、根源的に解決してないことは残ったままであるが、ちょっと気分転換はできたかもしれない。
 それにしてもハイドンの曲というのは、自分にとって時に非常に有効な効用をもたらす気がする。親近感というのか、他の作曲家の作品と異なり、入り込むための自分の準備が非常に少なくて済む、そうした身近さがあって、またしても今回、お世話になった次第である。
 
神奈川フィル 指揮:鈴木優人
2017/4/29 神奈川県立音楽堂

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グールドのハイドン、ピアノソナタ [ハイドン]

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 ほぼ1か月近く、クラシック音楽から離れていた。
 例年この暑い時期はクラシック音楽から遠のく時期とはなっているが、それ以上に前回書いたような、CDの在庫整理と過去の音楽に向き合うことに時間を費やしていた。しかし、封印していた過去の出来事をこじ開けてしまい、忘れていたことがどっと氾濫してしまった。もう何十年も前のことなに、記憶は新鮮によみがえってしまい、後悔が押し寄せてくる。もう以前のことなのに、今更振り返って、想いを寄せても仕方ないことと頭ではわかっても、なかなか止められなかった。過去の時点でしっかり向き合わず、覚悟や決断をもたないままに、なんとなく決めてしまった自分がいまだに根強く残っていたのだろうか。
 
 ここ数年クラシック音楽に没頭している間は、そうしたことがほとんどなかった。確かに、クラシック音楽の背景には自分の過去に聞いた時間が無かったため、まっさらな状態で向き合え、過去の記憶がよみがえるということはなかった、ともいえるだろう。いや、もしかすると、無意識に過去と向き合うのを回避しようとして、未知の手垢にまみれてない音楽を探してるうちに、クラシック音楽の扉をこじ開けたのだろうか、などとも思えてしまう。

 そんなことでクラシック音楽からずっと離れていたが、さすがに回想場面が多くなり、後悔ばかりが溢れてしまう。そこで、数日前から気分は乗らなかったものの、半ば強引にクラシック音楽を耳にしてみた。流れを戻そう、と。その中で、以前さらっと聞き流していた、グレン・グールドのハイドンピアノソナタを聴き直してみた。
 グールドは自分にとって、バッハの曲がほとんどで、逆にバッハ以外はあまり耳にしてない。今回ハイドンを聴き直してみたが、タイミングがうまくあったのだろう、ピタッと符号した。

 独特のテンポと強弱の中、特に第58番(Hob.XVI:48)にはっとさせられる。ハ長調となってるが、しっとりとした響きも携える。ゆっくりとしたテンポから、音の間の隙間に何とも言えない表情があって、それが自分のクラシック不在期間をさらりと埋め合わせてくれるよう。そして長い第1楽章の後の「RONDO、PRESTO」のテンポのリズム、スピードの劇的な変化。
 この高速なテンポは、第62番(Hob.XVI:52)の第3楽章「FINALE、PRESTO」でも顕著。ここではさらに、快速スピード感をもって駆け抜けてゆく。

 長いインターバルを挟んだこともあり、クラシック音楽が新鮮に響いてきた。過去の自分も時に振り返ることは必要だが、それよりもこの今の現在をもっと見つめてゆかないと。今何が聴きたいのか、を自分に問いながら、最適の音楽を探してゆこう、と改めて思った。

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