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レニー・トリスターノ [ジャズ関係]

 レニー・トリスターノというジャズ・ピアニストの、その独自すぎる音色はジャンル枠は超え、ジャズというカテゴリーに閉じ込めておくこともできない、と思ってきた。

 その音は鮮烈で、ゴツゴツとした粗い物質、叩きつけてくるようなタッチ、ザクザクとした粗削りな触感を想起させ、滑らかさとは対極の音がそのピアノから弾かれてくる。ジャズの文脈でよく「トリスターノ派」とか「クール・ジャズ」とかという言葉とともに言及されているようだが、スウィング感より硬質なリズミック感が前にでてきてる音、と感じる。

 ただ、この人の主要な作品は極めて少ない。サイドメン参加とかライブ盤とかはあるのだが、存命中にでたリーダーとしてのアルバムはわずか2枚。

1955年の『鬼才トリスターノ( Lennie Tristano)』
1962年の『ニュー・トリスターノ(The New Tristano)』 

 このうち最初に聞いたのは「鬼才トリスターノ」の冒頭曲「ライン・アップ」。この曲を聞いたとき、その乾いた硬質なピアノ音に驚き、インパクトを受けた。ドライで柔らかな音色から乖離したその音を耳にすると、それまで聞いてきたジャズピアノの作品とあまりの違いに、戸惑いつつ、強いインパクトがあった。
 
 そしてこのアルバムの特徴として、前半と後半の著しい差異があるということ。前半はトリスターノワールド全開で、わずか4曲目とはいえ、ガツンとした衝撃がある。4曲中、ソロ演奏2曲とトリオ演奏2曲という形だが、このトリオ演奏についても通常とかなり違う。共演者にドラムとベース奏者の名前はあるが、ほぼトリスターノの世界を後方サポートするだけで、ドラムとベースが前面に出ることなく、ソロも介入する余地もないまま、トリスターノだけが突っ走る。

 しかし、後半は全く違い、前後半で別物の2部構成となっているのだ。
 後半の残りの5曲は、リー・コニッツらとのカルテットによるライヴ音源が収録されているのだが、前半のドライで乾いた硬質感のある音は影を潜め、その落差に拍子抜けするくらいの違いがある。ただし、よくよく聞いてると、滑らかさには程遠いタッチは感じられる。

 そして、一般的なジャズの演奏のお約束事的展開とどうも違う曲がある。例えば「You go to my head」では最初にコニッツのアルトサックスがメロディーを奏で、中間部からトリスターノのピアノに移り、そしてそのまま最後までトリスターノが弾ききる。ピアノソロに受け渡した後、最後はサックスに戻り・・・という展開が欠落したまま曲が終わる、唐突で何か消化不良を感じさせるこの終わり方。5曲中2曲がサックスに戻ることなくピアノで終わってしまう、これもまた不思議な違和感を生じさせる。
 
 この前後半の内容には埋めきれない落差、温度差があるとはいえ、やはり前半4曲だけでもあり余り過ぎるくらい大きな価値がある。トリスターノのドライで硬質な、粗いメッシュの、ゴツゴツしたタッチのピアノの音色は、他のピアニストとは全く違う、その音に触れることができるのだから。
 しかも50年代のこの録音で、すでに前半4曲で多重録音とかテープの速度変更など試みてることから、おそらく現代の録音環境で作成してたら、どんなことやったのだろう、そんな空想も浮かんでくる。

 蛇足ながら、このアルバムタイトルは「Lennie Tristano」で、邦題は「鬼才トリスターノ」と変換されている。当初すごいタイトルだなと思ってたが、最近これは結構内容に合っており、適切な題名なのかもしれない、と思うようになってきた・・・。

CD:「鬼才トリスターノ(Lennie Tristano)」(Atlantic 1955年)
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久しぶりにダイアナ・クラールを聞く [ジャズ関係]

 朝から雨風強い平日の朝。読みかけのミステリー小説も残り100ページあまりとなり、今日は午前中で最後まで読み切ろうと取り掛かる。大変面白い展開で、このまま進めてゆくはずだったが、ふと窓の外の強い雨がなにか気になる。
 午前9時前、この日は予定もない。雨は昼頃までという予報。このまま本を読めたはずだが、何かそわそわするというのか、けだるさもあり、本はいったん中断して音楽を聞くことにした。特に何かというイメージはなかったが、先日来から聞こうと思ってたダイアナ・クラールをチョイス。

 その選択に関しては、先日図書館で借りた本のことがあった。読んでたのは、「エルヴィス・コステロ自伝(Unfaithful Music & Disappearing Ink)」という本。コステロが2015年に執筆期間10年かけた初の自伝で、なんと翻訳本は755ページもあり、本自体の重量もすごい。コステロの音楽は2000年前半までアルバムはほぼ聞いており、80年代初期の作品は思い入れもあるので、手に取ってみたが、読むのは難航した。話が時系列に進まず、時間軸が入り乱れ、家族の歴史的な部分や歌詞の言及も多く、なかなか手ごわい一冊で、飛ばし読みしながら読んだ。とはいえ、各種のエピソードは大変興味深く、驚きの内容もいくつかあり、また自分のイメージしていた部分と異なる感性も見え、参考になった。その自伝の中で、登場してきたのが2003年にコステロと結婚したダイアナ・クラール。

 読み終えて、そういえばダイアナ・クラールは久しく聞いてないなと思った。2000年前後のアルバムはいくつか聞いたが、彼是10年近くご無沙汰してたので、ちょうどいい機会だからこの午前中の雨の日、寝っ転がりながら聞いた。
 
 当時の印象は、心地よくリラックスできる作品だが、強い印象は希薄な感じだった。
 今回聞いた1999年のアルバムは、ダイアナの歌とピアノ、ギター、ドラム、ベースというフォーマットものとストリングスのアレンジを加えた作品が入ってる。軽いスゥイング感やゆったりとした流れ。窓の外は強風雨だが、音楽は緩く流れて気分も緩まってくる。以前聞いたときは、表面をなぞるように聞いてたのかもしれない。曲のくつろぎ感に自分を委ねきれなく、どこか生硬さが残ったまま接してたのだろうか。

 聞いてるうちに時間が間延びしてゆく。外の世界の雨風の強い時間が遠のいてゆく中、だんだん緩くなってゆく。とりわけいい塩梅に感じたのはマイケル・フランクスの「Popsicle Toes」。この曲、Mフランクスが1975年「The Art of Tea」に収録した曲で、このポップチューンをなんともジャズっぽく、軽やかに仕立てる。この曲の中間部におけるラッセル・マローンのギターもいい。

 結局、何もしないまま、アルバム全曲1時間ほど聞いてしまった。
 聞き終えてヘッドフォンをとると、相変わらずの強風と雨。さて、と起き上がり、コーヒーが飲みたくなった。いつもは午前中のコーヒーは朝の一杯で済ませてるが、この日は、もう一杯淹れることにした。そんな午前中だった。

CD:When I Look in Your Eyes/ Diana Krall (1999,Verve)
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リー・リトナーのギター [ジャズ関係]

 音楽の最初期に出会ったのがラリー・カールトンだったこともあり、同時代的なギタリストのリー・リトナーにも興味は向かったのは当然のことだった。
 リー・リトナーのアルバムで最初に聞いたのは1981年の「RIT」。しかしこのアルバム、ギターが前に出るより、ヴォーカル(エリック・タッグ)がフューチャーされたAORテイストの内容だった。シングルカットされた「イズ・イット・ユー」は爽やかで心地よいAOR系の曲で当時好きな曲ではあったのだが、ギタリストとしてのリー・リトナーという点に関しては薄い存在と認識してしまった。
 こうしてその後は関心も発展しないまま長い時間が過ぎていった。

 それでも最初に聞いてから40年近く経つなかで、何枚か聞くうちに変化が生じてきた。特に近年、いつの間にか聞く機会が増えてきたこもあり慣れてきたのかもしれない。全般的に感じるのは形式やフォーマットにこだわらなく、曲自体を引き立てるようなギター、というのが特徴だろうか。1993年にはウエス・モンゴメリーのトリビュート、 1997~2003年には「ツイスト・オブ・ジョビン」、「ツイスト・オブ・マーリー」、「ツイスト・オブ・モータウン」と多方面の音楽との接点をつくり、特にブラジル音楽との関係は随所にでてくる。

 この人の作品の特徴をよく反映したアルバムに1998年発表の「ディス・イズ・ラヴ (This Is Love)」を挙げられるだろう。心地よいサウンドものに加え、レゲエ調、ダンサブルな音など、聞きやす中に躍動感がある。そして取り上げたカバー作品が4曲あり、
ソニー・ロリンズの2曲(Alfie's Theme、Street Runner)、クラシックの曲(フォーレの"Pavane")もあるが、中でも一番意外に思ったのは、シンガーソングライターのランディー・ニューマンの1970年代の作品("Baltimore")まで広げてる。ただ多方面からの曲を取り上げてるが、原曲に忠実というよりリー・リトナーのサウンド体系に置き換えられたサウンドになり、フォーレのパヴァーヌは冒頭はクラシカルな入りだが、中盤からはコンテンポラリーサウンドに様変わりしてゆく。

 「ツイスト・オブ・マーリー」(2001年)もボブ・マーリーの作品トリビュートなのだが、レゲエ色はあるものの、基軸にコンテンポラリーな音作りが入るので、割と普通感覚で聞ける。
 
 気楽に音楽聞きたいシチュエーションが増えてきたのか、近年リー・リトナーを軽く聞き流すことが多い気がする。そうして繰り返し耳にしてると、この曲の良さを引き立てるギター、何ともいいなあと感じる最近である。

CD:「This Is Love」/Lee Ritenour(i.e. Music、1998年)
  「A Twist of Marley」/Lee Ritenour(GRP、2001年)
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1968年のビル・エヴァンス ライブ録音 [ジャズ関係]

 水辺に佇む、お城のジャケットで有名な「モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのビル・エヴァンス」は、これまで繰返し聞き続けてきたアルバムである。
 ビル・エヴァンスのトリオ演奏はいろいろあって、1961年のポール・モチアン、スコット・ラファロとのトリオ、晩年の鬼気迫る凄みのある演奏も捨てがたいが、よく聞くのはこの1968年のモントレーのライブ盤で、安定して聞ける。

 エディ・ゴメスとジャック・デジョネットというこのトリオ演奏はなかなかよいので、このモントレーのライブ盤以外にも聞いてみたいと思ってたのだが、数年前にResonanceというレーベルから、1968年の未発表録音が発表されたので聞いてみた。「Another Time: The Hilversum Concert」というオランダでの未発表ライブ盤で、「モントルー・ジャズ・フェス」の1週間後に録音されたということだが、未発表とは思えない非常に充実した内容だった。

(A)・・・「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル/1968年6月15日スイス」
(B)・・・「Another Time/1968年6月22日オランダ」

 (B)は(A)の1週間後のライブということで似通った内容かと思ったが、結構違いが感じられた。それはホールの差異、観客やその日の雰囲気などもあったのだろう。また収録曲が随分違い、重複してるのは2曲だけ(「Embraceable You」と「Nardis」)であった。ということで、この重複した2曲を比較してみた。

 概ねどちらもよいのだが、微細なところの差異もあった。「Nardis」はおよそ8分という最も長い時間の白熱した演奏となってるいるが、この曲は(A)の方に軍配を上げてもよいか。大きな差異は中間部でのデジョネットのドラムソロで、ここでのソロは(A)の方がダイナミックでアクセントも強く、大きな熱量が感じられた。
 一方「Embraceable You」は演奏時間が異なり、(A)は約6分に対し、(B)では約5分となってる。ここでの演奏はE.ゴメスのベースが大きくフューチャーされ、1分の時間差は中間部のソロの長さからくるが、(B)の音の方がより鮮明でクリアに聞こえる。
 全体的に(B)の音のクリアさは大きな魅力であり、内容の引き締まった、きりっとした感じもあり、充実した内容であった。

 気になってこのトリオのことを調べてみると、活動期間はおよそ6か月間、今まで公式に聞けたのがモントレーライブ盤だけだったようである。そこにResonanceというレーベルから、発掘されたのが今回のオランダでのライブ盤だが、さらに6/20にスタジオ録音(Some Other Time)やロンドンのロニースコッツでのライブ(Live At Ronnie Scott's)というのも近年になってから発掘されたようだ。
 また時間みてこのあたりを深堀してみたいものだ。


CD:「Another Time: The Hilversum Concert」 / BILL EVANS (1968) (Resonance 2017)
「Bill Evans at the Montreux Jazz Festival」 / BILL EVANS (1968) Verve
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スタンリー・タレンタインのCTI時代 [ジャズ関係]

 好みとは言い切れないのだが、なぜかよく聞く音楽というのがある。スタンリー・タレンタインのサックスはその区分に該当してたのかもしれない。

 振り返ってみると、意識的に選択したことは少ないが、なぜか選んでしまって聞いたことは多い。そのときの気分がはっきりせず、「う~ん、何かサックスのような感じか」という時に、チョイスしてしまうケース。テナーサックスで迷ったら、タレンタイン。

 今回取り上げたのは彼の70年前半のCTIレーベルにおける「Sugar」と「Cherry 」の2作。60年代はブルーノートにかなりのリーダーアルバムを録音してるが、その後のCTIでの音は時代的な変化もあるので、随分違っている。ジャケットも濃厚で妖艶なムードを醸し出すところにも、時代の変化を感じさせる。

 それでも最初のCTIレーベルでの録音作「Sugar」は、サックス、トランペット、オルガン、ギターが入り、60年代のブルーノート的なサウンドの流れを踏襲してる部分は強い。中でもコルトレーンの「Impressions」を演奏し、厚みのある音ではあるのだが、コンガが入るので、音のシリアスさは低減されている。またこのアルバムで存在感を感じたのは、ジョージ.ベンソンの濃い目のギター音、結構健闘してるのではないだろうか。

 一方、この後に発表された「Cherry 」は、かなり感触が異なる。その要因は何といってもミルト・ジャクソンとの共演にある。
 ミルト・ジャクソンはこの時点でMJQを含め相当なキャリアがあり、タレンタインの名義アルバムとはいえ、全体的には2人のミュージシャンの共演作というところか。(ジャケットにも「Cherry with Milt Jackson」となってる)

 タレンタインのサックスにミルト・ジャクソンのヴィブラフォンの音が加わることで、ブルージーな空気とまろやかな音色がいい塩梅の変化をもたらす。さらにエレクトリック・ピアノの音が加わり、この後展開してゆくフュージョン的なサウンド要素を感じさせる。60年代のサウンドとは違った空気をもたらすエレクトリック・ピアノ、この演奏はボブ・ジェームス。
 
 そうした多様な編成や時代の変化の中、スタンリー・タレンタインのサックスは太い骨組みの、どっしりとしたサウンドを聞かせてくれる。この音色からにじみ出てくる味わいを、長い間自分の中ですくい上げられなかったが、最近しっくりくるようになった。時間は要したが、派手さはなく、どこかまろやかな音色が最近心地よい。
 
 なお、この2枚アルバムで脇役ながら、「Sugar」のジョージ.ベンソンと「Cherry」のボブ・ジェームスの2人とも存在感を見せているが、この後の70年中盤以降のフュージョンサウンドへの流れの伏線にもなってるのか、そこも面白く感じられた。

CD:Sugar / Stanley Turrentine (CTI) 1970年
   Cherry/ Stanley Turrentine (CTI) 1972年 with Milt Jackson

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「アメイジング・バド・パウエルVOL1」 [ジャズ関係]

 昨年からバド・パウエルのことが気になりだした。アルバムを何枚か聞いているが、その中で以前聞いたが、うまく理解できなかった作品に再度向き合ってみた。
 そのアルバムは「アメイジング・バド・パウエルVOL1」。

 20代の頃、有名な「クレオパトラの夢」を聞いてから、そのあとにこのアルバムを購入したのだが、この冒頭の3曲が異質な並び方だった。
1曲目:ウン・ポコ・ローコ(テイク1)
2曲目:ウン・ポコ・ローコ(テイク2)
3曲目:ウン・ポコ・ローコ

 最近は、リマスターや別テイクが入ることは多く、気にならないが、30年以上前はあまり類を見ないレアケースだった。しかも冒頭から同じタイトル曲が3曲連続である。なぜ同じ曲が、冒頭から3つも入ってるんだろう? この別テイクの違いが見いだせず、そこが障壁となってしまった。何度かトライしたものの、3曲連続を飽きずに聞くことは困難で、いつの間にか手放してしまった。実際のところ、当時はパウエルの凄みを理解できてなかったのだと今更ながら思う。

 そして先日中古で買いなおし、何十年かぶりに聞いてみた。
 調べみると「アメイジング・バド・パウエルVOL1」はたびたび発売され、曲の並びが異なったもの、構成違いなど数種類の盤が出回ってるようだ。自分が最初に聞いたレコード盤は、調べてみたら12曲入りのものだったが、今回買ったのは、輸入盤のRVG Edition(2001年)で、20曲も入ってる。

 とりあえずウン・ポコ・ローコの3テイクは収録されてるのを確認したが、冒頭3連発ではなく、曲順番も異なり、ばらけている。
 これは一体どうなってるのか?
 この構成順が気になりだしたので、調べてみた(調査は細かくなったので、詳細は以下※参照)。ともかくこうしてRVG Edition(2001年)の収録曲順は、録音日を知らべてると分かりやすく、この点についてはスッキリした。

 しかしながら、そうした配列の問題はわかったが、「ウン・ポコ・ローコ」の3曲はやはり続けて聞きたい。そうしなければ当時の疑問は解消されないままだ。

 CDで3曲を連続し、比較しながら聞いてみると、パウエルの打鍵の強さや独特のリズム感には引き込まれる。基本構造は、テーマが演奏→中間部のアドリブ→その後短いドラムソロ→最後にテーマに戻るとなるが、聞き所は中間部のあたりと思う。
 テーマの部分に差異はあまりなさそうだが、テイク1だけが短く(3:46)、ドラムソロとテーマに戻る部分が無いまま終了してゆき、やや唐突な終わり方で煮え切らいない気がする。本テイク(4:42)とテイク2(4:28)はほぼ同じ長さであるが、テイク2のドラムソロの前の部分が間延びしてる感じがある。よって、本テイクが一番よいと感じた。

 3曲連続で聞いてみたが、全然飽きなかった。
 なるほど、別テイクを分けないで、あてて連続配列したことは、強烈なインパクトのある並び方だなと思った。また、この「ウン・ポコ・ローコ」が録音された1951/5/1のピアノトリオによるセッションは全部で9曲あるが、この時の録音ものが、非常に気にいった。

 あらためて、凄みのあるピアノであると、認識させられた。

CD : The Amazing Bud Powell, Volume One / Bud Powell (Blue Note 2001 RVG Edition)


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※ 以下参考まで
調べてみると、この一連のセッションで録音されたのは3パターン、合計で28曲あるようだ。
①1949/8/9・・・11曲 クインテットによる編成
②1951/5/1・・・9曲  ピアノトリオ編成
③1953/8/14・・・8曲

 今回購入したRVG Edition(2001年)では、①全曲11曲②全曲9曲③なし、の合計20曲となってる。つまり①②がコンプリートに収録され、しかも曲順を①全曲→②全曲としてるので、この形式で分類整理されたことで時系列的には分かりやすくなった。
 「ウン・ポコ・ローコ」の3曲はすべて②のセッションで、本テイクをまず最初において、別テイクを後半に収録した形になっている。つまり、本テイクが最初(12曲目)に置かれ、その後2つの別テイクを後ろに置いた(17曲、18曲目)ため、3曲連続構成されいないということのようで、これは理に適ってると思われた。

 
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パット・メセニー「ブライト・サイズ・ライフ」 [ジャズ関係]

 今年の中古CD購入記録を振り返ってみると、半分がジャズ関係、中でも一番多かったのは、パット・メセニーの5枚だった。
 パット・メセニーの作品は以前から関心は維持していたが、ここ数年間は特に意識的に聞きだし、今年はさらに多かった。最初に聞いたのが90年後半くらいだったろうか、その後スローペースながら聞き重ねてゆき、ここ数年集中的に聞いてきたこともあり、これまで聞いたメセニーのソロ活動、グループ活動作品はおよそ20作品まで増えた。こうして枚数レベルで振り返ると、かなり深まった気もするが、道はまだまだ深く長い。
 とにかく音楽活動期間がたいへん長く、メセニーの音楽活動は50年近く経ってるが、新作発表は続いており、また来年は日本ツアーもあり、現在進行形のミュージシャンである。そんな彼の活動を遡っているのだが、とにかく膨大な量の作品があり、さらに演奏形態やフォーマットも多様なので、いまだに全貌がなかなかつかめないでいる。

 さて今年買った一枚のうち、1975年12月に録音されたデビューアルバム「ブライト・サイズ・ライフ Bright size life」はやはり特別だ。トリオ演奏による全8曲のうち、スタンダード曲なし、自作曲が7曲(残り1曲はオーネットコールマンの作品)という構成から、すでに特徴が出てる。演奏時間が4~5分にまとめた曲が多く、その後の曲に比して短めの曲の構成に感じるが、メロディーラインもしっかりと輪郭を持った曲が多く、また現在にも通じる特徴的なギター音色はすでにこのデビューアルバムで現れている。さらにジャコ・パストリアスの参加による、ベースの独特な存在感は非常に大きい。翌年の「ウォーターカラーズ」からはライル・メイズが参加し、ジャコの参加はこの一枚だけだと思うが、そういう意味でのもこの編成は特別なものに思える。

 ちなみに、アルバムの曲のタイトルを眺めていて気が付いたのだが、この後の作品に再登場する単語がいくつかあったで、ちょっとだけ関係性を調べてみた。

・3曲目「ユニティ・ヴィレッジ Unity Village」の「ユニティ」は2012年に作品発表した「ユニティ・バンド(Unity Band)」で登場。
・4曲目「ミズーリ・アンコンプロマイズド Missouri Uncompromised」の「ミズーリ」は1997年にチャーリー・ヘイデンと共作した「ミズーリの空高く」( Beyond the Missouri Sky)とリンク。
・8曲目「ラウンド・トリップRound Trip」の「トリップ」は2008年に発表したアルバム「デイ・トリップ」 Day Tripを想起させる。
・また6曲目「アンクゥイティ・ロード Unquity Road」の「ロード」 という単語は、1993年ライブアルバム「ザ・ロード・トゥ・ユー(The Road to You)や2021年の「ロード・トゥ・ザ・サン」(Road To The Sun)でも出てくるが、ジャケットにも道路、ストリート、路面などがいくつか用いられ、このROADという言葉は、何かメセニー作品のイメージをつかさどる重要なキーのひとつかもしれない。

 まだまだ聞いてないアルバムが多いので、来年も継続して進めてこうと思ってる。

CD:「Bright Size Life」/Pat Metheny(1976年ECM)
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キース・ジャレット「ザ・メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー」 [ジャズ関係]

 落ち着きがなく、モノもよく見えないとき。今の気分がどの方角に向いているかがわからないとき。そういう時、音楽で整えようと試みることはよくあるが、どうにも聞きたい音楽が見当たらなく、ぽっかりと空いた時間がただ目の前にある、そんなときもある。

 それでも音楽のことをとりとめもなく考え、この気分に合う音があるかもしれない、と探し続ける。そうこうしながら、久しぶりキース・ジャレットのピアノを思い出した。
 手元に残ってるのは数枚だが、この日手にしたのは1999年に発表した「ザ・メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー」というアルバム。随分長く、おそらく10年近く聞いてなかったのかもしれないが、聞いた時からずっと手元に残しておきたいと思った一枚。

 キースのピアノが響いてくると、すっと音の方に向き合ってゆく。焦点が定まらない不安定な場所から、透明な、訥々としたピアノの音に耳の焦点が定まってゆく。不安感は残ったままだが、日常や現実の生活は少し後退し、ピアノの音に耳を傾けてゆく。
 70年代のケルンコンサートのような研ぎ澄まされた集中力と透明感の中、高い緊張感のある音とは少し違う。高いテンション、無限に拡張してゆくような広がりはひそめ、それに代わって、ひとつひとつの音が大切に、包み込むような柔らかさで、静かな時間を生み出してゆく。1996年に 「慢性疲労症候群」という難病で活動休止してたのち、復帰作として発表したのがこのアルバム。スタンダード曲中心に、自宅スタジオで録音されたこのアルバムは、それまでのトリオ演奏やソロアルバムとも質感が異なり、もっと穏やかか感情が横たわるよう。混じりけのない、すっとした音が、荒れた海原を鎮め、気持ちのどこかに謙虚さな面持ちに似た感情が訪れてくる。

 ピアノの音を聞きながら、自分の心を横切って行った様々なことがスクリーンに映し出される。わかっているのに、できないこと。合理的でないこだわりの多くが拘束し、何度も同じところで、同じ過ちを冒してしまう日々。そして突然フィードバックしてくる過去の後悔が亡霊のようにさまよい歩いてゆく。制止など振り切って暴走してゆく心の動きに翻弄され、どうにもならず、もがき、落下し、ただできるのは時間が経過してゆくことを待つだけ。

 そうした中、キース・ジャレットのピアノが寄り添うように心に響きをしっかり残す。こんなにも美しい旋律が、心の襞に触れてゆく。いろいろな問題は解決しないまま続くが、それでも音楽がこうして、心に養分を与えてくれる。それが滋養となり、また少しだけ目線を上げて進んでゆこうと。

「ザ・メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー」(The Melody At Night, With You)
/キース・ジャレット(1998年録音 ECM1999)
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ブラッド・メルドーのライブ盤 [ジャズ関係]

 久しぶりにブラッド・メルドーのピアノもの、先日ふと聞きたくなり、中古で買い直してみた。
 振り返ってみると、1990年中盤~2000年前半あたりの数年間にかけ、彼のピアノトリオものをよく聞いていた時期があった。好みに完全合致したという感じではなかったが、どこか興味を刺激し、掻き立てるものがあり、90年代の「アート・オブ・ザ・トリオ」の4枚は全部聞いている。その後も新作が出ればタイムリーにチェックし、2006年には来日コンサート(ちなみにこの時の会場は東京オペラシティ コンサートホール)にも行っており、こうして記憶を遡ってみると、あまり強く意識はしてなかったが、それなりの付き合い時間はあった。
 
 メルドーのピアノにはちょっとわかりにくい部分もあるし、硬く、クールに感じるところもあるが、ジャズの枠にとらわれない音楽性は自分の性に合ってたのだろう。ビートルズのカバーも何度か取り上げ、ロック方面では特にレディオヘッドのカバー曲も多く、このあたりの解釈は面白いと感じていた。また2018年には「アフター・バッハ」とタイトルたアルバムを発表するなど、ボーダレスな感覚で取り上げる作品領域は広い。

 さて今回聞いたのは「アート・オブ・ザ・トリオ Vol.4」。これは「Back At The Vanguard」とサブタイトの示す通りライヴ盤であるが、これに先立つ「アート・オブ・ザ・トリオ Vol.2」ですでにヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤を出した後、立て続けに出たもの。全7曲のうちカバーやスタンダードもの4曲(「All the Things You Are」「Solar」「I'll Be Seeing You」、そしてレディオヘッドのExit Music (For a Film))、と自作曲は3曲。

 冒頭から長いソロでスタート。アドリブはとにかく早い。非ジャズ的なアプローチが随所に感じられるせいもあるのだろうが、ジャズという枠組には収まり切れない広がりもみせる。ライブなので全体的に曲は長めだが、最も長尺なのは自作の「Nice Pass」という曲。演奏時間は17分も続くが、ここでのピアノソロ部分は複数線を走らせ、とにかく速い。ジャズのアドリブという感じからも逸脱し、ピアノ即興的なフリーな展開もある。

 聞きながら曲目を眺めてると、「All the Things You Are」が収録されており、この曲といえば、キース・ジャレットが80年代に録音したスタンダーズVOL1がすぐ思い浮かんだ。他にあったかなと、在庫CDを調べていると、レニートリスターノとかもあったが、最近聞いたパット・メセニーが発表した「クエスチョン・アンド・アンサー」(1991年)というアルバムにも入っていた。このアルバムはパットの自作曲5曲とスタンダード等の曲4曲という構成だが、スタンダード系の曲をよくよく見てみると「All the Things You Are」と「Solar」の2曲が入っている。あれ、これはブラッド・メルドーのライブ盤と2曲が重なってる。単なる偶然なのか?、と思いきや、しかしそこに繋がりはあるのではないだろうか。

 この繋がり的な感じは、後に具体的なプロジェクトとして結実されている。メルドーは自分のトリオ以外にも他流試合は多く、いろいろな人と共作発表したり、サイドマンでも登場してるが、2005年にパット・メセニーとアルバムを2枚共作している。メルドーが1991年発表の「クエスチョン・アンド・アンサー」を聞いたのか、聞いてたら何か感じたのか、それらが彼自身の感覚に適合した曲だったのかは想像の域を超えないが、そうしたことを頭の片隅に置きながら1999年に発表したメルドーのライブ盤を聞いてると、いろいろ想像は広がるものだ。

 最後に余談になるが、マイルス・デイヴィスの「Solar」という曲での個人的な勘違いが今回見つかった。最初このタイトルをみて、ああ、確かあの曲だろう、と思ったのだが、どうも違和感がある。何か違う気がし始めたので、調べたところやはり最近頻発中の勘違いと判明。
 今回の思い込みは「Solar」を「The Sorcerer」という別曲とずっと勘違いしてたということ。最近こういうの多いな・・・いや最近とはいえないか・・・。なお、「Solar」は1957年に「ウォーキン」に収録されてる曲、一方「The Sorcerer」という曲は、1967年に発表した同名タイトルアルバム「ソーサラー」の中の一曲で、ハービーハンコックが作曲した曲。ともかく勉強にはなった、としておこう・・・。


「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」/ブラッド・メルドー
The Art of the Trio IV (1999年Warner)
「クエスチョン・アンド・アンサー」 /パット・メセニー、ホランド、ヘインズ
Question and Answer (1990年Geffen)
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グラント・グリーン「ラテン・ビット」 [ジャズ関係]

 昨日は雨が降って気温上昇が久方ぶりに抑えられたが、今年の連続した暑さには本当にまいった。思考回路も停滞、重たい音楽を回避すること多く、そんな中聞いた一例が、グラント・グリーンのギター作品、今回はこれを書こう。

 バンドやミュージシャンのディスコグラフィー辿ってくと、定型パターンや同じようなフォーマットが出てくるが、そんな中マンネリを脱しようとする試み、例えば企画もの、不慣れなジャンルへの挑戦、他流試合的なもの、など突発的、例外的な作品が登場するケースも見かけるが、これらが意外と存在感を放ってることもある。

 ジャズギタリストのグラント・グリーンは1961年にブルーノートレーベルにリーダー作品を発表し、前半期は比較的オーソドックスなレーベル的音楽なのだが、後半期はソウル・ファンク色が濃い作品へと移行する(あまりに大雑把すぎる分類・・・)、と区分できるだろうか。もっとも前半期とはいえピアノ奏者との共演は少なく、オルガン奏者と組むこと多く、個性は最初から出ているのだが。
 こうした中1962年に録音されたのはラテン・サウンドに挑戦した作品。デビュー年に立て続けにアルバム発表した後に、突如現れたラテンもの。このラテン系路線はこの後継続はされることがなく、この一作だけとなったので、ディスコグラフィーの中ではやはり異彩を放ってると言えるだろう。

 まずは聞いてみよう。冒頭の「Mambo Inn」、軽い音とラテン系の打楽器が聞こえてくる。参加メンバーを調べると、メンバー構成や楽器類がいつもと違う。特にコンガ奏者、シェケレ(shekere)という打楽器、そして「ドラム」とクレジットされてるものの、ラテン・ジャズのパーカッショニスト、ウイリー・ボボの参加など、ラテン系音楽要素がやはり強め。
 そしてひょうひょうとしたジャケット。ブルージーな空気は皆無、ほほ笑みを携え、ただ脱力感が漂う。

 全6曲ウキウキさせるようなサウンドの中、エキゾティックなムードと共に、いつものグラント・グリーンのギータ―節で歌うように演奏される。特に2曲目にはべサメ・ムーチョ(Besame Mucho)が入ってる。1940年にスペイン語の歌詞と共に作曲されたこの曲は、ジャズでも取り上げられることが多く、確か一番最初に聞いたと思われるのが、アート・ペッパーが復帰後の70年後半に録音された「AMONG FRIENDS」というアルバム。最初は特に気に入ったわけではなかったが、その後何度か別の演奏に遭遇してるうちに、だんだんと好きになっていった感じの曲で、中古CD探してるとき、この曲を見つけると、購入意欲がプラス1点加点される。
 ということもあり、グラント・グリーンのべサメ・ムーチョだが、ラテン系の音に支えられたギターは歌うようにこの曲の雰囲気と完璧にからみあう。異国情緒漂う、また歌謡曲的な雰囲気もあるこの曲の芯に触れる演奏。しかし中間部になると、急にジャズ方面のテイストを取り込むのだが、こうした変化をつけながら最後はまたテーマに戻ってゆく。曲自体の味付けに濃さを含んではいるとはいえ、そこに彼のシングルトーンが重なり、ラテン系の音とかみ合わされながら、ふんわりと誘われるような、軽やかさを醸し出す演奏である。

 猛暑・酷暑と暑さが留まるうだるような暑さの中、このアルバムのライトなトーンはうねうねと、軽快に、けだるく漂ってゆくのだった。思考停止、無気力状態の身体にグラント・グリーンのギターとラテン音楽がさらさらと流れてゆく。

CD:グラント・グリーン「ラテン・ビット」
 The Latin Bit / Grant Green  (Blue Note)1962年

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