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デイブ・ブルーベックのノクターン [CD]

 デイブ・ブルーベックの音楽を最初に耳にしたのは確か10代終わりのころだったか、結構早かった記憶がある。とにかく不思議なリズムが印象的なあの「テイク・ファイヴ」を聞いたのだが、その後は特に関心継続するということもなく過ぎていった。

 それから20年近く経ち、クラシック音楽を聞き始めた頃NAXOSレーベル作品をよく購入していた時期があったが、そこで再会することとなった。ジャズ系ピアニストと思いこんでいたので、クラシック的な作品もあるのかとそこで初めて知ったが、調べてみると、幼少期に母親からクラシック教育受けたとか、大学時代Darius Milhaudに音楽を学んだとかもあったようだ。

 改めてディスコグラフィ見てみたが、1940年後半から始まり、その後ポール・デスモンドとの長い共演もあったりしたが、70年以降もコンスタントにアルバムが発表されており、亡くなった2012年まで相当な作品がリースされていた。あまりに多いため、時代の変遷とか検証できないが、とにかくクラシック的な作品も晩年残しており、何枚か聞いてみたが、そのうちの一枚が今でも好みのアルバムである。

 2006年に発表された「ノクターン」と題されたアルバムは、ブルーベックの曲をJohn Salmonという人が演奏したもの。曲は短めのものが大半で、全体の演奏時間55分で26曲、平均2分程度である。

 中には50~60年代のジャズ時代に作曲された曲もあるようで、認識できたのは数曲。そのうち「Strange Meadowlark」という曲は、「タイムアウト」(1959年)にカルテット演奏で収録されていた作品だが、この「ノクターン」収録はピアノソロによるもので、より旋律がはっきりと見えてくる。聞き終えたあとにも繰り返しこの曲のメロディーは残った。
 また、タイトルを眺めてるといくつかのことが気が付くのだが、抽象的な単語が少なく、具体的な人名と土地、景色や自然の言葉などが多く出てくる。

・例えば、人名が付されてる曲・・・(Softly, William, Softly、Home Without Iola、A Girl Named Oli、Joshua Redman、Audrey、 Mr. Fats、 I See, Satie)
・土地の名前や自然の言葉も結構ある・・・(Blue Lake Tahoe、Looking at a Rainbow、Strange Meadowlark、Quiet as the Moon、Desert and the Parched Land、Memories of a Viennese Park、A Misty Morning)

 このことについてはCDに本人の解説文書があり、それを読むと、曲は、個人的な生活、経験から生まれたもの、ポストカードの絵のようでもある、というようなことが書かれており、そのあたりが直接反映したのだろう。例えば「Looking at a Rainbow」という曲は初めての日本旅行の時、土砂降りの雨の後に見た虹から作った曲らしい。「Mr. Fats」という曲の説明には、人生で初めて買ったレコードが、ファッツ・ウォーラーのピアノもので、在学中にナイトクラブ演奏した時、休憩中に弾いたことなどが作曲背景として添えられている。

 日常におけるエピソードから曲が生まれたことで、大仰ではなく、親密さを感じられる作品が多い。そうした曲を聞いてると、断片的な映像や、写真のような視覚イメージが映し出されたり、素描とかスケッチも浮かんでくる。
 ふとした時、聞きたくなるピアノの小品集で、また時折何度か聞きたくなるのだろう。

CD:Dave Brubeck: Nocturnes / John Salmon (p) 「ブルーベック:夜想曲集」(NAXOS 2006)
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コール・ポーターの「エニシング・ゴーズ」という曲 [CD]

 何事も事前にスケジュールや時間を決めてから行動する習慣があるが、これに固執するとわずかの変化にも対応しにくくなる、というデメリットも付随してくる。些細な予想外のことでも修正がうまくゆかず、いつのまにか柔軟な対応力も低下してしまってる気がする。たまには臨機応変に、気ままにやろうとするのだが、なかなか習慣は抜けないものだ。

 とはいえ、たまにはその時の流れにのって、ふらふらと流される場合もある。
 昨日の夕方、毎度のことながらお酒と共にする音楽何にしようかと考えたが、決めかね見切り発車的に近くにあったCDを聞いていた。ジャズギタリストのタル・ファーロウの「タル」という作品聞いてたのだが、4曲目にコール・ポーター作曲の「エニシング・ゴーズ」(Anything Goes)という曲がある。

 あれ、この曲は先日久しぶりに聞いたブラッド・メルドーのアルバムにもあったな。そういえば、いつか聞きたいと思ってたデイヴ・ブルーベックの60年代のアルバムにもこのタイトルがあったような気がする。しかし曲のイメージがほとんどなく、遭遇する機会は多くなかったのだろう。

 それで気になりネット検索で調べてみると、この曲は1930年代にに初演されたミュージカルで使われたコール・ポーター曲のらしい。ジャズの曲しか聞いたことがなかったので、いくつかのバージョンを聞くと楽し気なムードで歌われた歌詞付きの曲だった。印象は少ないとはいえどこかで聞いた記憶もある。
 それで、他にはどういう人が演奏したのか、検索していたら、ヨーヨー・マの名前が出てきた。そうだ彼の演奏は確かベスト盤で聞いたことがある。ヴァイオリンのステファン・グラッペリとの共演、そうそうこれだ。タル・ファーロウは確かにこの曲の雰囲気を押し上げた感じがある。ブラッド・メルドーはかなり原曲を崩した感じがつよい。しかし、この曲のイメージはヨーヨー・マとステファン・グラッペリとのこのバージョンが一番しっくりとくる。

 そんな感じで、全く予想してなかった展開となったが、いつのまにか「エニシング・ゴーズ」とともに時間は過ぎていった。こうした脱線・逸脱の流れにのってゆくのもまたいいものだな。

[TAL] Tal Farlow 1956
[Anything Goes] Brad Mehldau trio 2004
[Anything Goes] The Dave Brubeck Quartet 1966
[ヨーヨー・マ ベスト・アルバム] ヨーヨー・マ 1998


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モンポウ 「歌と踊り」 [CD]

 何度か聞いているのち、感想が書きにくいものがある。コンサートの場合、体験として聞いた直後の感想は書きやすいのだが、部屋で聞いたCDのいくつかは感想がうまく書けない。ぼんやりとしながら聞いてるせいなのか、緊張感がない状態で聞いてるためなのか。これまで聞いた累積的な時間は少なくないのに、いざ書こうと思うとぱったり止まってしまう。モンポウ(1893-1987)のピアノ作品もそんな感じのひとつなのかもしれない。

 振り返ってみると、この10年間くらいのスパンの中、モンポウの作品は断続的に聞いてきている。初めて聞いたのがモンポウ自身による4枚組の自作自演集CDで、それから時々ふと取り出して聞いたりし続けてきた。特に聞いたは「歌と踊り」と題された作品群。この作品集は作曲年代が長期間(1918年~1972年)にわたるのに、若い時と中年、老年の違いはあまり感じない。
 明瞭な感じより抽象的な感じがあって、でも何か惹きつけるものがある。どこかあいまいな感じの中、断片的に、聞くというのか、ピアノの音に自分も漂わせてきた。すごくわかったという気にはならないが、どこかに触れるものがあり、しかしそれらを言葉にしようすると、具体的なイメージは浮上せず、すっとすり抜けてゆく。

 でも何か感じるものがある。浮遊するような、つかみにくい、おぼろげな何か。それらがいつか内側に入ってきそうな感じがあり、それでずっと聞き続けてきた。思い出すかのように、ぽつぽつと、長い時間かけ、自分とこの音楽の接点を探し続けていた。

 そんな中、今年の暑い夏のさなか、ピアノによるスペイン作品を収録した6枚組のCDを買ったのだが、その中の一枚がモンポウの作品集だった。今までずっと同じCDを聞き続けてきたので、別のものを聞くのもよいかと思い、聞いてみた。ジャン=フランソワ・エッセールという人の演奏によるもので、 「歌と踊り」「郊外」「魔法の歌」が収録されていた。
 違った演奏を聞いたこともあったのだろうか、それまで何度も耳にしてきた「歌と踊り」が近づいてきた。

 ジャン=フランソワ・エッセール 「歌と踊り」の演奏は13曲収録されてるが、今まで聞いた感じとはまたちょっと違った感触があった。3~4分程度の演奏曲だが、タイトルにあるように、歌の部分と踊りを表現したものが同居する。しっとりとした歌の感じの演奏があり、中間くらいで活発な踊りの演奏に切り替わってゆく。そんなタイプの曲が多いが、聞き始めたころこはこの切替わりがうまく消化できなかった気がする。でも、今回別の演奏を聞いたこともあったのか、聞き続けてことで自然と曲への親和性や親近感が生成されたいったのか、とにかく自然体で音楽と向き合う感じが出てきた。

 自分自身の中には様々な感覚があり、そのうちのマイナーで、出現頻度が少なく、地盤の奥底のほうにあるものがあり、この辺りが微動している、モンポウの作品を聞くとそんな感覚を覚える。 

・ピアノ作品全集:フェデリコ・モンポウ(Brilliant Classics 4CD)/モンポウ自作自演集 
・エスパーナ(アルベニス、ファリャ、グラナドス、モンポウ、トゥリーナ:ピアノ作品集(ERATO 6CD)):ジャン=フランソワ・エッセール
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モーツァルト交響曲集/アバド&モーツァルト管弦楽団 [CD]

 決して多くはないが、モーツアルトの交響曲はここまで何種類か聞いている。印象的だったものもあるし、差異がよく見えなかったものもあるが、以前聞いた中で2006年に録音されたアバド&モーツァルト管弦楽団のCDの感触はとりわけ良かった。
 近年部屋でモーツアルトの交響曲を聞くというシチュエーションは相当少なくなっているのだが、最近ハイドンの音楽ばかり聞いてるため、さすがに単調さが生じてきたので、先日アバド&モーツァルト管弦楽団のモーツアルトの交響曲を久しぶりに取り出してみた。
 
 アバドという指揮者については、ベルディのオペラ作品CDで聞いたことくらいしかないので、特に思い入れはないのだが、このCDは数少ないリアルタイムで接したものだった。名盤や有名指揮者、おすすめ盤などの本を読んでみると、60~90年代あたりの演奏作品が多く、クラシック音楽を聞き始めたのが2005年くらいだった自分にとっては、そうした時代体験がない。当然ながら過去の演奏を後追いして聞いてるわけだが、時々もし10代後半頃からクラシック音楽に興味を持ち、当時の音楽をラジオなどで聞くなどのリアルな体験があったら感覚的には少し今とは違うのだろう、と思うことがある。そんなこともあり、2008年に発表されたこのCDは、どこかのCD店で視聴したことがあって、発売当時に耳にしたことがあるという自分にとっては数少ないリアル体験の作品でもあった。

 その後だいぶ経ってから中古で購入してたのだが、今週始めにふと交響曲35番を聞いてみた。気分的にマッチしたのだろう、そのあと一日一曲ずつ聞き、結局2枚組のCD全曲を聞いてしまった。やはりフレッシュな感触があり、自分自身の流れにフィットしてくる。それが何なのかということは、うまく言えないのだが、何か他の演奏とは違った感じはある。軽やかといってもよいが、それだけではない。流麗さや濃厚さ、じっくりとした円熟さみたいなものは薄く、また早すぎることもない。演奏はさらっとある種の淡白さも感じさせ、弱音部分はかなり小さく奏でられている印象もあるが、この流れがとにかく心地よく思える。

 音にたっぷり感情をこめられるというより、さっと引き離し手離すことで、ある種の隙間みたいなものが生まれ、このあたりが軽やかさにつながってくのだろうか。そんなことを考えながら、全5曲(29番、33番、35番、38番、41番)を聞いていったのだが、久しぶりにモーツアルトの音楽の根幹に触れるような演奏がナチュラルに届いた、そんな時間帯だった。

Mozart Symphonies (Nos.29/33/35 "Haffner"/38/41 "Jupiter" ‎)
Orchestra Mozart, Claudio Abbado 2008
モーツァルト管弦楽団  指揮:クラウディオ・アバド
・交響曲第35番ニ長調 K.385 『ハフナー』
・交響曲第29番イ長調 K.201(186a)
・交響曲第33番変ロ長調 K.319
・交響曲第38番ニ長調 K.504 『プラハ』
・交響曲第41番ハ長調 K.551 『ジュピター』
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13枚組、ついにTOTOのボックスCD入手 [CD]

 かなり迷った末、先日ついにCDボックス購入。
入手したのは、ロックバンドTOTOの13枚組「 ALLIN 1978-2018」。到着して、輸入ペーパー・スリーヴのジャケット眺めてたら、すぐ聞きたく早速1978年発表の彼らのファーストアルバムを聞いた。 有名な「Hold the Line」や「Georgy Porgy」はベストアルバム等で何度か耳にしてたが、フルアルバムで全曲一気に聞いたのは30年振り?くらいか。リマスターにより、我がラジカセレベルではあるが、音質はかなりいいようで、細部の音が見えてくる。
 10~20代頃はあまり個々の楽器に注力して聞いてなかったが、今回はリマスターの効果もあり、楽器のリアルさがクリアに聞こえる。ルカサーのギターはもちろんだが、ジェフ・ポーカロのドラムの音のタイトでパワフルさが際立ってる。そして曲の構成力の高さには改めて驚かされる。

 振り返ってみると、TOTOというバンドとの付き合いは長い。
 FM番組で聞いて、その後最初に買ったTOTOのレコードは1982年発表の「TOTOⅣ」だった。このアルバムを含め初期の4枚までは結構聞いたのだが、その後時代や自分の音楽方向性が離れてゆき、15年近くはほとんど新作や活動もチェックしてなかった。転機になったのは10作目「TOTO XX 」(1998)。過去の未発表曲やアウトテイク、ライブ音源を収録したコンピレーション盤ということで、久しぶり聞いてみたら、特に70年代のアウトテイクは非常に質の高い作品が多く、驚いた。その中で全く聞いなかった80年中盤の曲も数曲あり、このあたりも良かったので、その後、聞いてなかった84年以降の作品をコツコツ聞き直してていった。

 クラシック音楽時代も、その聞き直し作業は細々と続け、そんなこともあり、オリジナルアルバムはかなり耳にしてきた。ただ、すべてがよかったわけではなく、時代的なサウンド傾向やプロデュースの違いにより、今一つの作品もけっこうあった。
 引っ越しを機会にTOTOのCDは売却処分してしまったのだが、時間がたつとまた聞きたくなり、そんな中ボックスセットはたいへん魅力的に映った。とはいえ、あまりモノを増やしたくないし、また9作品は聞いてるので、今更という気持ちもあり、迷った。クラシック音楽のボックスものは必要ならすぐ買えるのに、買いたいな、いやいいか、そんなことを繰り返すこと数か月、やはり時系列に聞き直したいという気持ちが上回りとうとう買ってしまった。

 昨日は「TOTOⅣ」と「TURN BACK (1981)」を聞いた。「TOTOⅣ」はかなり聞いた記憶があったが、聞きなおすとA面の曲は記憶が蘇ってくるのだが、B面は意外と薄かった。ということは当時A面ばかり聞いてたのかもしれない。「TURN BACK 」は彼らのハードエッジな部分が一番濃く反映した作品だと思うが、このアルバムのルカサーのギターのストレートなロック的攻撃性を全面に押し出した音色は、素晴らしい。彼らの作品中このアルバムが好きなのだが、その印象は全曲通して聞いても変わらなかった。それにしてもアルバム全8曲で37分。クラシックに聞きなれた時間感覚からすると、この時間あっという間だった。

現在半分くらい聞いたところ。コロナの感染状況が新たなステージに変化し、今月は休日の外出が少なくなってるが、そんな中、こうして久しぶりにTOTOの音楽をボックスセットで聞き直すのは、楽しみの一つである。

CD : ALL IN 1978-2018 (13CD BOX) /TOTO

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デビットボウイ「The Next Day」(2013) [CD]

 久しぶりに大きな手ごたえがあった。ロック系のアルバムを聞いてこんな感触があったのは何年ぶりのことだろうか。冒頭のタイトル曲から一気に最後まで聞き、それから数回聞き直したが、ボウイの作品にこれだけ引き寄せられとは思いもしなかった。

 先日来デビットボウイの聞き直しのため、まずは2014年に発表された2枚組ベスト盤「 Nothing Has Changed」を聞いていた。このアルバムの中にボウイの復活作「The Next Day」の先行シングル「Where Are We Now?」が収録されてたので聞いてみたのだが、全体的に落ち着いた曲調で、このことからアルバム全体もそうした雰囲気なのかと予想していた。

 しかし、予想は全くはずれた。「The Next Day」の冒頭のタイトル曲が始まると、イメージは瞬時に覆され、ギターのソリッドなスピード感に驚かされる。さらに聞き続けたのだが、単調さとは無縁のバラエティーに富んだ曲が次々と続いてゆく。ほとんど3~4分の曲で、短い中にぎっしり詰め込んだボウイ自身の表現したいエネルギーが全展開してゆく。この時点で60歳を超えてたことで、声質が若い時のレンジから狭まっきてるようにも感じたが、そのくぐもった中間トーンの声質は聞きやすく感じられた。

 なぜだろう、こんなに自然と聞けるのは。周囲の状況によって変化し続け、実体が見えにくいと思っていたデビットボウイの音楽から違和感が消えている。リズム、テンポ、スピード感、歌い方などを含めた全体トーンが今現在の自分の鋳型によどみなく流れ込んできたような感じがあった。ここには長期のブランクを経由し、年齢を重ね、老いながら、それでも内部から放たれなくてはならなかった音があった、そんなふうに感じられた。

 クラシック音楽を長期間聞き続けてはきたが、それでも自分のベース部分にはロックやジャズを聞いた礎がある。最近この基礎部分を意識することが増えており、少し浮上しようとしているのかもしれない。
 自分自身でも掴み切れないのだが、とにかくこのアルバムは今現在の自分へストレートに入ってきたのだった。
 
CD : 「The Next Day」(2013年)/David Bowie
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久しぶりに聞いたディランのアルバムから [CD]

先日、ボブ・ディランの60年代のアルバムを久しぶりに聞いた。
1965年に発表された2枚のアルバム、「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」と「追憶のハイウェイ61」。個人的には非常に重要な作品で、特に「追憶のハイウェイ61」は自分の音楽形成の中でも欠くことのできない思い入れのある作品である。
20代前半によくレコードで聞いたが、その後リマスタリングで発売されたこともあり、CDで買直した。しかし、その後クラシック音楽にシフトしたこともあって、ほとんど聞くことがないまま過ぎていった。

特にこのブログを始めてからの5年間くらいは、クラシック音楽に注力していたこともあり、ロック音楽とはかなり離れた時間がある。こうしたブランク期間を経て、近年また聞き直すようになったのだが、以前とは少し違った聞き方をしてる気がする。やはりクラシック音楽を聞いたことによる、細部の音への聞き取り方が深化したというのか、メロディー以外の細かな箇所が自然と耳に入るようになった気がする。

そんな中、ディランのアルバムを久しぶりに聞いたのだが、その中で今までとは違う感じ方、微妙なズレや差異のようなものが感じられた。

確かに、長い間聞いてなかった曲だから、聞き直した時にやはり懐かしさがあった。ほっとするような、懐かしい時間の流れがそこに紐づいていることを実感する。また、曲によっては特定の記憶とつながってるものがあり、思い出すシーンがあった。その頃の時間の流れが浮き上がってくる。そして、記憶の遠くに保管されていたボックスが開くように、当時の自分が現在の自分と重なり合う。

しかし、その像は完全に一致しない。大半は重なり合いながらも、どこかズレがある。それは後退なのか、成長なのか、あきらめなのか、変化なのか、それとも年齢がもたらす時の経過なのか。1965年のディラン20代の声は活き活きとした感情の赴くまま自在に泳ぐ。内側から湧き出てくる言葉の奔流に抗うことがない、瞬間の記録が閉じ込められている。
このディランを耳にした当時の自分は20代だった。そして現在はといえば、それから30年以上の歳月が過ぎている。だから感触が微妙に違った。ある種の距離感を感じた。ディランの曲に強く反応し、自分を投影しようとしてたあのころとは、やはり距離感を感じる。

しかし、そうした距離感とともに、変わりなく感じる部分があり、また改めて違った角度で感じるものもあった。「追憶のハイウェイ61」の冒頭は代表曲の「ライク・ア・ローリング・ストーン」が入ってるが、自分の中ではこのアルバムのラスト「廃墟の街」という曲に大きく影響を受けてきた。閉ざされ、無邪気で、うるさく、寡黙、そわそわして、突発的、そうした世界が凝縮され、ノスタルジックに俯瞰的に見つめられる。この曲を聞くとその言葉のイメージに掴まれる自分が、今も確かにここにいる。

変わらない自分と変わってしまった自分。今現在の立ち位置をふと考えさせられる時間がそこにあった。

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「オータム」/ジョージ・ウィンストン [CD]

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 バランスを崩してから、立て直すのにすごく時間がかかることがある。
 ひとつの大きな失敗があった。そしてその直後別のミスが続け様に重なってしまった。ある程度余裕があれば、アンラッキーとか、ついてないで済ませられるようなこと。なのに、そうした些細な出来事を軽く払拭できなくなる。そうすると普段気にしなったことも、引っ掛かりだし、負のスパイラルに陥ってしまった。いろいろ気分転換を試みたが、うまくゆかない、そんな状況が1か月以上続いていた。

 うまくゆかないとき、習慣的に気持の整理をノートに書いいる。視野が狭くなってるから、書くことで客観的になれるところもあると思う。今までもこうしたことはあったが、今回はバランスが大きく揺らぎすぎ、書くことでも効果が感じられなく、結果的にバランスを失った時間が長引いていった。

 落ち着かない日々の中、数日前、ある事実に直面した時、冷や水を浴びせられた気がした。不安な気持ちに覆われた中に、リアルな現実が突きつけられ、はっとささられた。

 どうすればよいのか、という現実的な迷いの中、ずっと沈殿してきた気持の揺らぎが、後方に押しやられた感じがした。決して消えたわけではなかったが、今突きつけられた現実問題が中心に現れ、そしてなすすべもなく佇む自分を実感させられた。

 その夜、とても音楽なんか聞けそうにないと思ったが、ふとひさしぶりに、ジョージ・ウィンストンのピアノの音が思い浮かんだ。「オータム」というすご以前に聞いたCD。ただひたすらピアノの音に耳を傾ける。20歳台の頃、よく聞いた音が、懐かしさを超えて、今また心の深いところに響く。束の間、ピアノの音が身体に広がる感じがあった。
 あまり意識しなかったけど、クラシック音楽にこうして出会う前に、G・ウィンストンの音をかなり聴いてたのは、どこかで下地になっていたのかもしれない。

 うまくゆかないとき、バランスを失ったとき、迷いのとき、G・ウィンストンのピアノの音は、忘れかけていた心の動きを思いださせてくれる、そんな気がした。

CD: AUTUMN / George Winston 1980

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ヘンデル「水上の音楽」 [CD]

 ここ数日間雨が降り続いてる。
 基本的に雨の日はかなり苦手で、気分にも影響を受けやすい性質だと思う。休日に雨が降ると予定を変更することもあるし、外出しなければならない日に雨だと、気持が下降気味になることもよくある。単に雨が降ってるだけじゃないか、と思うのだけど、どうも気分への影響がでてしまう。一時的に降って、すぐ晴れると、影響はほとんどないのだが、これだけ降り続いてしまうと、気分がどんよりしてくるのを回避するのはさすがに難しい。

 考え方の問題なのかとも思うが、とにかく昔からこの傾向はあった気がする。傘をさして歩くのが苦手なことも一因だろう。また日差しがなく、どんよりしてる空模様もあるだろう。平日は通勤があるから、どうにもならないが、落ち着かない状態はやはり多くなる。気にしない、というのがいいのだろうが、どうしても気になってしまう・・・。

 さて、そういう訳で、昨日から気分が盛り上がらないので、録画してたテレビ番組や、スポーツ番組など見て昨日はやり過ごしていたが、こういうときに聞く音楽なにかないだろうか。昨夜は夕方の晩酌タイムにジャス聞いていたが、夜になってクラシック音楽で軽く聞けるものあるだろうか、と思いつつあれこれ在庫CD眺めてたら、ヘンデル「水上の音楽」が目に留まった。

 このCD、もう長い間ずっと聞いてないなあ。ジョージ・セルが指揮した1961年の演奏だが、久しぶりに聞いてみた。この雨の日に「水上の」というタイトルも何だが、ウエットな感じは全然なく、空気が晴れやかで清々しい中で、すっきりした感じがする音楽である。
 「水上の音楽」はもっぱらこの盤を聞いてたが、この演奏はハーティという人が編纂した版に、セルが手を加えたものらしい。そういえば、ネヴィル・マリナー指揮のものもあったので、今回こちらも聞いてみた。こちらはあまり聞いてなかったのだが、版が違っており、曲の配列も異なり、随分違う印象があった。聞き比べると、セル指揮盤はコンパクトに短くまとまって大変聞きやすく、また個人的にもこの作品を最初に聞いたので、こちらが馴染み深かった。今回マリナー指揮盤は第1組曲だけ聞いたが、第3組曲まである長い演奏だったので、今度また聞いてみよう。
 
 雨は降り続いているが、今日も一日何とか時間やり過ごしてゆこう。

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CD:ジョージ・セル指揮/ロンドン交響楽団、1961年
サー・ネヴィル・マリナー指揮/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ 1993年


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リゲティ:無伴奏チェロ・ソナタ /ミクローシュ・ペレーニ [CD]

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 先日何年かぶりに、チェロのミクローシュ・ペレーニの演奏CDを聴いてみた。
 2012年の発売されており、その年に入手した一枚だが、この後、クラシックの新譜を買った記憶があまりない。ということは、これが手元にある最も新しい録音の一枚ということだろうか。

 それはさておき、久しぶりに聴いてみたのだが、チェロの響きが実に新鮮だった。実はこのCD発売はECMレーベルから出たものである。ECMレーベルといえば、ジャズレーベルとして、独自の透明感ある響きが印象的だったが、中でもキース・ジャレットのピアノトリオ演奏やソロ作品が真っ先に思い浮かぶ。

 という訳で、当時このCDを買ったきっかけの一つが、ECMレーベルからの作品ということだったと思う。ふだんはあまり音質にこだわらないのだが、それでもこの作品、ECMレーベルということで、音像は素晴らしかった。さらにペレーニのチェロが空間に放つ音の鮮烈さと深い弦の響きがあり、バッハの無伴奏チェロ組曲第6番は、それまで耳にした中で最も素晴らしい演奏であった。

 ただ、その時、既知のバッハ以外の曲は、ちょっとわかりにくいな、という印象だった。今回、その2曲、ブリテンと リゲティ 、を聴き直しみたが、ブリテンの無伴奏チェロ組曲第3番は、重たい空気の中、ところどころで動きがあり、4つめのBARCAROLAではバッハ的なトーンなども感じられた。

 そのあと、7分程度の短い曲であるリゲティの無伴奏チェロ・ソナタを、今回はじめてじっくり聴いたのだが、特に後半、動的に進行する音が際立った。揺らぎの中から、後半はスピード感をベースに突き進む。まるで、暗くて見えない中、光をあてにせず、自らの感覚に依拠したまま、確たる方向に向かって突き進んでゆく、そんな感じがあった。

 確かに、こういうタイプの曲を聴く時には、自分の状態もかなり影響があり、全く受け付けないような時もあるのだが、どういうわけかフィットすることもある。その隔たりに何があるのか、未だによくわからないが、こんなふうに音楽を聴くことで、自分の状態チェックができることも、時にはある。

CD : Miklos Perenyi     Britten Bach Ligeti
ミクロシュ・ペレーニ(チェロ) 2012/(ECM)


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