SSブログ

2024年の始めに [その他]

 1年が終わりまた新たな1年が始まった。
 音楽以外で昨年を振り返えると、とりわけ年齢的な問題が表面化、今まで経験したことがなかったタイプの不具合や違和感に直面した。それまで緩やかに出現していた劣化諸症状(抜け毛、かゆみ、ドライアイ、冷え性など)が急上昇し、レベルが急激に数段階上がったという感じ。散歩では1万歩超えることもよくあるが、日常生活で、つまずいたり、ぶつけたり、バランスを失ったり、モノを落とすことが頻発。
 そこに記憶力の低下も加わり、以前のようにゆかない感覚が増えた。さすがに危機感も出てきたので、筋力の維持を半月前から組み込み始めた。

 さらに昨年は、歯周病と虫歯の治療で2か月間以上通院したこと、しもやけの悪化、コロナに感染してしまったこと、などがあった。また生活面でも予想外の出来事やトラブル対応に悩むことが何度かあり、気持ちの落ち着かない日々が続いた。完璧主義の気質がネックになり、些細な変化に対応できない考え方が出てしまい、今後は考え方に緩さや柔軟性を持たせたいなと思ってる。もっとも長年の癖もあり簡単にはゆかないが。

 そんな中、昨年はコンサート関係の回数は年間40回を記録。ここ3年間は年間20~30回くらいのペースだったから、久しぶりに増えた実感はあった。特に今年後半(9~12月)は月4回ペースで、このくらいのペース復活は10年ぶりのことだった。
 回数が増えたものの、コンサートへの向き合い方は変化しつつあり、以前よりも少しあっさりとした向き合い方になってきたかもしれない。コンサートの後にブログ書くこともあるが、その日感じたことを忘れないよう書き留めておこう、と備忘録的にもなってきたか。

 一方、ジャズや昔聞いた懐かしい音楽とかを聞き直すことが増えてきた。今までなんとなく耳にしてきた音楽を、もう一度原点に立ち返り向き合ってみると、思わぬ発見があり、そこから深堀したり、関連性を探し、紐づけたりして楽しんでいる。

 こうした文書を書くのはなかなか楽しいものだ。昨年はブログの回数が年間50回程度と今までより増えたが、今年はもう少し増やそうと思う。音楽を聞くことを通して、感じるもの、再発見したり、面白さを見つけるプロセスがあり、それらを言葉に落とし込むことの作業を以前より楽しめてきた気もする。
 そんな感じで今年は、重くならないよう全体的に少しライトな感じでいけたらと考えてる。

コメント(0) 
共通テーマ:音楽

ラグビーワールドカップ2023 [その他]

 過去ある時点で強い印象があると、「あれから〇年が経ったのか・・・」と振返ることがある。4年前のラグビーワールドカップはまさにその顕著な例で、前回2019年9月に横浜でスコットランドVSアイルランド戦を観戦した、まさにその日が記憶の軸として今も残っている。

 あれから4年か。一カ月前から始まった今回の2023年フランス大会も、ここまで相当観てきた。時差の関係でほとんど録画して見ているが、既に10試合以上は見ている。この一か月間は音楽聞いてる時間よりはるかにラグビーの試合見てる時間のほうが多いはず。

 これだけ見てると飽きのようなものもありそうだが、毎試合ごと予測不能な展開が待っており、これが面白いのかもしれない。データ分析や緻密なゲームプラン、デザインされたサインプレーなど、事前準備が試合にも反映されつつ、雨が降ったり、高湿度でボールが滑ったり、怪我人、反則やミスなどのアクシデントもあるし、そこに楕円球のもたらす制御不能なバウンドも起こる。

 どのスポーツでも偶然性がもたらす部分はあるが、ことラグビーでは得点シーンに大きく影響してることが多いような気がする。劣勢だった状況が相手のパスをインターセプトし、一気にトライしてしまうとか、苦し紛れに蹴ったボールが敵陣深く入り、イレギュラーなバウンドし、そこから得点につながったとか。それでもこうした偶然性の局面を瞬時につかみ、嗅覚や感覚で動くことができるのはすごいなと思し、一見偶然性に見えたプレーの中に、実は計算してたり、狙っていたものもあり、そういう意味では必然的要素も含まれてるのだろうと近年思うことが増えてきた。事前にできるだけの準備し、実際のゲームではコントロール不能な要素が大きく局面を動かすが、偶発性を必然的な結果につなげるために、瞬時に反応できるというための準備もあるのだろう、などと思いつつ見ている。

 またこうしたゲーム見ながら、ふと自分自身のことも考えることも最近あった。自分には完璧主義的な気質が強く、偶然性に委ねたり、意外性や突発性に反応するのが苦手なのだが、こうしたプレーにおける瞬時で新たに発生した局面に反応し、打開する選手の動きを見てると、以前はすごいなと思うだけだったが、学ぶものが多い気もしてくる。
 最近自分自身の生活環境で、不可解な状況や迷う局面が立て続けにあって、うまく反応できないことが続いてる。いちいち状況の変化に戸惑うのは、まだまだ予測が不十分だったからではないのか、最初から何が起こるか決めつけすぎてたのではないか。そんな中ラグビーの試合見ながら、自分には、確かに瞬時に判断する能力は低いが、状況の変化を受容する心構えのようなものはもう少し持ってたほうがいいな、などと考えながら見てると、スポーツ観戦といえども、奥深く、なかなか飽きないものだ。

 予選プールも終盤に差し掛かり、明日の日本戦は楽しみだが、ベスト8から先もまた楽しみである。
コメント(0) 
共通テーマ:音楽

朝に飲むコーヒー [その他]

 朝にコーヒーを飲む習慣は、20代の頃からあったので、かれこれ30年以上続けてきたことになる。朝食の時にコーヒーを淹れるという動作は毎日の生活に組み込まれ、考えることもなくずっと持続してきた感じだった。
 ただ、本当に飲みたいとか、うまいなと感じることは減っていたのも事実。うすうす気づいてはいたのだが、定番動作を止めることは難しかったので惰性で続けてきた気がする。こうした中、ここ数カ月間は自宅で過ごす時間が増えたので、日常生活を見直すこともあり、ある時から朝のコーヒーを紅茶に変えてみた。
 数回続けてみたら、朝は紅茶のほうが合っているような気がしてきた。そして数カ月後、おおむね基本的に朝は紅茶を選択することが多くなった。ただ時々、朝からコーヒーが飲みたいなという気分もあるので、そういう時はその気分に従ってコーヒーでスタートすることもある。あまり固定しないでその時々の気分に従うようにしている。

 コーヒーの味の好みについても、数年前から変化が出始めていた。20~30代の頃はとにかく濃いめの味が好きで、焙煎は深め、苦味のある味ばかりを飲んできた。その後濃いめの味が重く感じるようなことが増え、近年はライトな感じの味に移行していった。以前はマンデリンのストレートばかりだったが、最近はモカやキリマンジャロ主体のブレンドものが多くなっている。

 またドリッパーも以前は台形型の3つ穴式だったが、近年は円錐形のものを使用している。3つ穴から円錐形の1つ穴に変えた時、お湯の落ち方の時間が違ってびっくりしたが、好みの味が変化した流れには、この円錐形の抽出の方があっている気がする。
 相対的に、長い時間を経て徐々に濃い目からさらっとした味へと好みが移り、それに伴いコーヒーに対するこだわり感も変わってきたのだろう。とにかく、惰性的に飲むのではなく、コーヒー飲みたいな、という時に飲むのがいいようだ。

 こうした味に対する変化は、コーヒーのみならず他にも出始めてきている。やはり年齢的なことも影響しているのだろう。
DSC_0998.JPG

コメント(0) 
共通テーマ:音楽

週刊誌や雑誌のこと [その他]

 先日ニュースを見てたら、週刊朝日が5月末で休刊になるとのこと。時代の流れから仕方ないとは思うのだが、過去に購読してたり、読んでことがあると、やはり一抹の寂しさがかすめてゆく。
 週刊朝日は一時お世話になっていた時期があった。基本的にこれまでの人生で週刊誌は読まなかったが、例外もある。それは10代の頃で、実家が週刊朝日を購読していたため、居間に週刊朝日がコンスタントに置かれていた環境があった。ちょうど大学受験に失敗し、一年間浪人生活してた時期は日中ほぼ実家にいたため、手持無沙汰になると週刊朝日を手に取って何気なく読んでいた。時事的な記事はあまり読まなかったが、エッセイとかは連載とか読んだ気がする。

 それから社会人になり週刊誌とは縁遠くなったが、時々駅の売店で買うこともあった。たいがいは出張で新幹線に乗るとか、旅行した時に新聞を読んでしまったので週刊誌を買って時間つぶしに移動中に読んだこともあった。週刊朝日の休刊のニュース読んで、そんなことを思い出したのだが、近年は雑誌関係はほぼ買わなくなったとはいえ、過去には随分買っていたので、これまでの履歴を振り返ってみよううと思った。

 中学生の頃、最初に買ったのは1980年代前半にFM情報誌「FMファン」だったか。番組表を毎日見ながら、エアチェックする番組を探していた。そしてそのあとは、音楽雑誌「ミュージック・ライフ」。高校生の頃毎月発売されたが、これは何度も記事を読んだ記憶がある。同時並行的に「ロッキン・オン」も読み始めたが、高校生後半から大学時代、そして社会人になってからと長い期間お世話になった雑誌だった。今こうしてブログなどで文書書いてるが、音楽を聞くことから評論的な文書を書くことを意識したのは「ロッキン・オン」の影響力が大きかったのだと思う。

 会社に就職してからの1990年代はロック関係雑誌を複数購読していた。大学時代に読んでた「ロッキン・オン」「ミュージック・マガジン」に加え、「クロスビート(CROSSBEAT)」「レコード・コレクターズ」と当時は雑誌が大きな情報源だったので、月4冊買っていた。

 その後、1990年後半になるとロックなどの音楽に対する過剰感や違和感が少しずつ生じたことで、音楽関係の雑誌は「レコード・コレクターズ」だけになっていった。そして代わりということでもなかったが、90年代後半から、スポーツ関係の雑誌を買うことが増えていった。この背景には、1998年のスポーツイベントやトピックスが重なったことが大きかった。長野オリンピックがありアイスホッケーの試合を観にいったこと、サッカー日本代表のワールドカップ出場、そして横浜ベイスターズの優勝、これらのことが重なり、スポーツへの関心が高まり、雑誌でいえば、「ナンバー(Number)」を不定期ながらよく読んでた。また2000年前半まではアイスホッケー観戦三昧の時期があって、「アイスホッケー・マガジン」は数年間買っていた時期もあった。
 
 その後次第に雑誌購入は減って、あまり雑誌買わなくなったと思ったが、2008年ころテレビを買い替えたことをきっかけに、テレビ情報誌「ザテレビジョン」「TVブロス」とかよく買ってた時期もあった。それ以外に不定期ながら買ってた雑誌もあって、「サライ」、「BRUTUS」、「週刊ベースボール」なども特集など気になったら買ってたことがあった。

 近年は雑誌買わなくなったが、今回文書書くにあたって思い出したり、振り返る過程でネット検索してたら、懐かしい画像がわんさか出てきた。当時買った雑誌の表紙をネットの画像で見たら、どっとあの頃の空気感を思い出したりし、ノスタルジックな振り返りの時間を満喫していた。
コメント(0) 
共通テーマ:音楽

今年一年を振り返ってみて [その他]

 今年一年を振り返ってみると、最大のトピックスは仕事に関する変化だった。
 かれこれ5年以上前からずっと検討・思案し、どこかで仕事の区切りをつけようと考えてきて、ようやくこの10月に契約変更をおこなった。毎日決まった時間に通勤し、仕事で長時間拘束され、帰宅する、という時間の流れが変わった。会社へ行く時間は減り、自宅で過ごす時間は増え、様々な変化に直面した。通勤ラッシュ時間帯の電車に乗ることはなくなり、外食機会もなくなり、読書・音楽・テレビの時間等は増えていった。

 変化があった当初は自由になった時間で気分的にも楽しめたが、ほどなくするうちに、手持無沙汰な時間が出現してきた。多分30年以上続いた通勤と仕事の生活リズムが身体にしみついており、せわしなく過ごすことが習慣化されていたのだろう。急に変わったことでの戸惑いは予想以上に対応が難しかった。しかし時間はかかったが、生活のテンポを落とし、何事もスロースピードで過ごすようにし、毎日することもない状態に慣れるように徐々に適応し始めていった。以前は休日の時間は惰性的に過ごすことなく、「有効に・有意義に・生産的な活動しながら」過ごそうと思ってきたので、こういう考え方を変えるのは容易でなく、まだまだ払拭できてはいないが、非生産的でだらだら過ごして一日が終わった日も、許容できるようにはなってきたかと思う。

 また当初何かと急ぐ癖がなかなか抜けず、頭ではゆっくりと思ってるのに、それに反し身体は無意識に急いで動いてしまうことが何度かあったが、身体反応も意識的にスローに動くように変えつつある。例えば買い物に行くとき、以前なら目的場所までの往復するだけだったが、最近は散歩もかね、わざわざ遠回りしたり、時には隣の駅まで歩いていったりしている。ゆっくり歩いていると、いろいろなものが見えてくる。いままで目にしてきたはずなのに、慌てて素通りしてきたので、見えなかったもの。住宅、店や建物、歩道、勾配加減、木々や植え込みの感じを眺める。立ち止まった場所からの光景は、こんな見え方だったのか。途中ふと歩いたことのない脇道に逸れると、はじめ踏み込んだことに気づく。たいしたことではないのに、初めての感触を感じることがある。時間がゆっくりと動いている感覚がでてきたのだろうか。

 まだまだ生活の中で試行錯誤の部分はあって、うまくゆかない日も多いが、生活リズムを変えて見えてくるものもある。年齢からくる身体の変化ともつきあいながら、あれこれと「したいこと」リストを追加し、更新しながら、のらくらとやってこうか、と思っている。
コメント(0) 
共通テーマ:音楽

記憶力の低下 [その他]

 先日図書館で本を借り、最初のページを読み始めてすぐに気が付いた。この本、読んだことがある・・・と。比較的印象が残ってたので、冒頭のシーンですぐに気が付いた。すぐ年度ごとの手帳の元に走り、読書記録を追っかけたところ、2年前の記録がしっかり残っていた。

 そもそも本来は別の本を借りる予定だった。
 以前読んで結構よかったこともあり、久しぶりに別の作品も読んでみようと思い、図書館予約にリストアップ、さて予約ボタンを押そう、という直前、ふと手が止まった。いや待て、このシリーズの過去の作品を読んでからにしたほうがより楽しめるのかも・・・と迷いが生じた。ネットで調べ、過去作品をチョイスし、その勢いのまま当初予約を直前で変更してしまった。この取り違えの原因に思い当たることといえば、以前読んだとき、タイトルはあまり記憶してなかったようで、また北欧の外国のミステリで作者だったので、名前が覚えずらかった。と言い訳を考えてみたが、虚しさはあまり軽減しなかった・・・。

 ちょっとしたうっかりミスだろう。とにかく早めに気が付いたからいいか、と思いながら、過去の手帳の読書記録を何気なく見返してると、読んだはずなのに全く内容が思い出せないものがずいぶんある。そして5年前の手帳に差し掛かったところ、目が点になった。あれこの本、今年の前半に読んだ本だ。今年読み終えた本を5年前に一度読んでいた・・・。頭がくらくらしてきた。確かに、読んでる途中、読んだことあるかな、という感覚はあったが、とにかく読み切るまで気が付かなかった事実は大きい。大きすぎる。

 その後またまた言い訳を必死に探してみた。そう、あの本はテレビドラマの原作本で、番組見終わった後、振り返っておこうと軽い気持ちで読んだことが原因だったのではないか?。あの時は読書というより、追体験的な感じで読んでた気がする。また上下巻にもかかわらず、5年前は上巻のみで中断してる。そして、テレビで見た印象が強かったことで、そのあと本でなぞったが、結果的にテレビ番組のイメージのほうがはるかに大きく残り、読書体験のほうは後退したのだろう・・・などと思った。

 読書中、いったん本を閉じ、数時間後に再開しても、そこまでの筋がすぐ思い出せなかったりすることも増えてきているが、とにかくこれ以上深く追及しないほうがよいだろう。
 まず記憶力の低下現象はしっかり受け止めて、さて、そろそろ脳トレとかでも始めようかな・・・。
コメント(0) 
共通テーマ:音楽

昨年度聞いた音楽を振り返って [その他]

 昨年はとにかく停滞した一年だった。活動力が不発で、落ち着きもなかった。

 目的や動機が欠落し、方向性が常に定まらず、ふらふらした感じで過ごした気がする。外部世界は不確実で不安さを深めるばかりで、知ろうとすればするほど、不安が増加してしまい、最近はあまりネットで深堀しないよう心掛けている。が時々バランスが崩れ、安定さから程遠い一年となった。

 近所以外の外出が減り、コンサート聞きに出かけた回数も少なかった。かといって、室内でクラシック音楽を多く聞いたわけでもなかった。そんな中、部屋で聞いたクラシック関係では、プロコフィエフとハイドンの先品が主流だった。ハイドンはずっと気にかけていて、弦楽四重奏や交響曲全曲聞こうと思ってるが、膨大すぎてなかなか進捗してない。一方プロコフィエフは近年気になっており、交響曲以外の曲・・・ピアノソナタや管弦楽曲なども聞いたことのない作品を昨年度いくつか聞いて、今年もさらに続けてゆく予定。

 クラシック音楽はあまり聞かなかった半面、80年代前半の洋楽を聞き直すことが多かったが、そのきっかけとなったのは、ラジオで洋楽の番組を毎週聞いたことだった。

 数年前から毎週日曜の午後NHK-FMで「洋楽グロリアスデイズ」という番組を時々は聞いてたのだが、今年はほぼ毎週聞いていた。特に10代の頃聞いていた懐かしい曲がかかると、当時の出来事や時間感覚がよみがえり、懐かしさとともに、意外と再発見もあった。曲のフレーズは記憶にあるものだったが、展開とか楽器演奏のフレーズとか、あれこんな感じだったか、と思うことも結構あった。かなり聞いてなかった時間が長かったせいもあっただろうが、後方で聞こえるキーボードの音色、ギターやベースの音がクリアに聞き取れたり、あれこんなところにストリングス入ってたのか、などなど再発見もあり、それがいい感じだった。

 その結果、久しぶりに70年代後半から90年代前半あたりの洋楽中古CDを探し、かなり購入した。昨年末引っ越した際相当処分した反動もあったが、以前レコードで買ったがすでに手元にない作品をもう一度聞きたくなり、買い直ししていた。
 
 個別に書くとキリがないが、一つの例として、シカゴのレコードの買い直しを書こう。1982年に発表された「Chicago16」はChicagoのレコードで最初に買った一枚だった。10代のころよく聞いてたし、曲調も気に入って、好印象のアルバムだった。しかしこのアルバムについて、他者との会話で取り上げた記憶がほとんどない。20代以降に聞いた音楽の流れにそぐ合わなかったのか、ポピュラーすぎて取り上げにくく、そんな見栄が自分にあり、言いにくかったと思うが、いいアルバムだったという感触はずっとどこかに置いたまま残ってた気がする。

 今回洋楽を意識的に聞き直すうちに、このアルバムが無性に聞きたくなった。Chicagoのベスト盤ではなく、「Chicago16」全曲を聞き直したいと。そんなこともあり、ある日中古CD店で、ピンポイントで探したら、あったので即買い。懐かしさと新鮮さが入り混じった感じで、アルバム全曲を一気に聞き直したのは多分30年ぶりくらいのことだったろうが、本当によくできたアルバムだと今でも思う。

 この頃、多分1982年周辺に聞いた音楽というのは、自分が音楽聞き始めた初期だったこともあり、相当印象が強かったのだと思う。振り返ってみると、音楽の印象が強い年度というポイントがいくつかあったきがするが、1982年も自分にとって、そんな年度だったのだろう。このあたりは今後振り返りしてゆこうか、そんなことを思った。

 今年どんな一年になるか、徐々に活動モードに切り替えてゆければ、と思う。

コメント(0) 
共通テーマ:音楽

低調な一か月間 [その他]

 今月は低調な一か月だった。

 季節的にも雨が多く、湿度が高くなり、過ごしにくい時期なので余計うまくすごせないことが多いが、それにしても集中力があまりになかった。

 本を読んでも、音楽を聞いても集中力が持続せず、すぐスマホであれこれ検索し時間を浪費してしまった。特にネットでの買い物サイトばかり見てた気がする。あまりに多い選択肢の中からどれを選ぼうか。ひとつひとつ比較し、そうすると知らぬうちに時間が過ぎてゆく。これでいいか、いやもっと調べたら安くていいモノが見つかるかもしれない。もっと安いのが見つかるかも。
 とにかくさっと決めて、注文してしまえばよいのだろうが、選択肢が多すぎるとついつい比較検証してしまう癖がでてしまい、結果的に相当な時間を費やしてしまった。今月はそんなことを何回か繰り返してしまい、生産性の低い月になってしまった。

 何とか状況を挽回しようと思いこの一週間、ランダムに音楽を聞いてみた。ハイドン弦楽四重奏曲とか、プロコフィエフの知らない曲、明日のコンサートで聞くブルックナー7番など聞いてみた。でもどこか集中力が欠けてしまい、中途半端な気分がある。
 本当は今何が聞きたいのだろうか。ネットでの買い物で時間を浪費した問題の根幹には、今現在何を聞きたいのか、何をしたいのかが、自分自身見えていないのが原因なのだろう。

 そんなことで最近ずっと今聞きたい音楽を探しているのだが、どうも1980年代に聞いた懐かしい曲が気になっている。その下地になっているのが、毎週日曜日の夕方にFMでオンエアされてる「洋楽グロリアス デイズ」という番組。70年代、80年代、90年代の洋楽ナンバーからセレクトされる音楽がかかるのだが、最近自分自身の振り返りもあってか、コンスタントに聞いてるようだ。先ほど番組サイトで過去3か月のオンエアリスト見てみたが、ほぼコンスタントに聞いてたようである。この番組を聞いてきたことがきっかけとなったのか、1980年代によく聞いた音楽をまた聞きなおしたいようだ。多分そういう時期なのかもしれない。

 ということで、少しこのあたりの路線で夏場過ごしてみようかと考えている。

コメント(0) 
共通テーマ:音楽

いつもと違った年末年始 [その他]

 今年の年末年始休みも本日まで、明日からまた仕事だが、今年はいつもと違った感じだった。

 まずは、引っ越しをしたことで、年末恒例の大掃除が不要になり、とても楽だったのだが、一方で何か手持無沙汰だった。さらにコロナの年末状況も刻々と変化し、外出する気分にもならなく、散歩とスーパーへの食料買い出し程度の外出範囲だったこともある。今までは正月過ぎは電車乗って遠出することが多かったのだが、今年はそれがなく、ペースがつかめなかった。

 こうして予定というものがなくなったので、かなりテレビ観ていた。録画してたテレビ番組や普段ほとんど見ないテレビ・ドラマなども結構見たが、意外と面白かった。テレビに飽きたら読書したりし、全般的にだらだらと過ごした。いつもならこの時期、年の終わりと始まりなので、大晦日や新年の気分が漂うのだが、今回全くそうした気分がなく、ただ平坦な時間が過ぎ、気が付いたら年度が変わったという実感程度だった。
 
 いつもならやりたいこと、目標や予定を考えるのだが、社会状況が不透明すぎて、個人的な目標や予定が非常に決めにくく、結局、現時点では目標や予定はほとんど見つからなかった。コンサート予定についても、現時点で確定してるのは、年間購入してる定期演奏会以外はほとんどない状況ではある。

 これまで自分にとって、コンサートという場は重要で、そこに向け予習、準備しながら当日ホールで聞くということを繰り返してきたが、昨年からここが機能しなくなり、音楽と係わる時間が相対的に減少してしまった。そんな中考えさせられたのは、今まで自分のモチベーションを獲得するのにいかに外的なイベントを必要とし、そこに依拠してたか、ということ。自発的にというより、何かの機会をきっかけに、動いていたということだった。
 今後部屋で聞く時間を増やすのか、またコンサートの場を戻してゆくのか、まだ見えてないが、当分模索しながら、流動的な時間が続くのかもしれない。

 そんな中年末にベートーヴェンの交響曲を部屋で久しぶりに聞いてみた。たまたま一曲聞いて、翌日も聞いたら、全曲聞こうかと思い立ち、数日かけ全曲聞いてみた。ベートーヴェン交響曲全集は2セットしか手元になく、そのうちの一つ、1997~1998年にかけ録音されたジンマン指揮/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団のもの。
 これまでも数回年末とかに全曲聞いたことがあるが、聞く順序は時系列的でなく、その時の気分で並び替えながら進めてゆく。今回最初に聞いたのは第4番。
 翌日は3番と8番。それ以降は9番→6番→1番→5番→2番→7番という順序になった。その時の気分も加味しながらの選択だが、冒頭2曲と最後の2曲が好みの曲で構成された形となった。今回、うまくフィットしたのは3番、6番、2番あたり。特に6番は自分にとって聞くのが案外難しい曲なのだが、夕方の時間とその時の状況にかみ合ったようで、久しぶりに6番をじっくりと聞きこめた。

 どういう年になるのかわからないが、とにもかくにも2021年はスタートした。
コメント(0) 
共通テーマ:音楽

年末にかけて [その他]

 今年度も終わりに近づいてきたが、いつものような年末年始の気分には程遠い気分がする。今までだと一年間いろいろあったな、という振り返りがあったが、今年はそれがうまくできない。コロナという大きな出来事が広範囲に広がり影響したため、個人レベルでの自由な活動さが限定された感じがある。その結果、今までコンサートという用事で外出してきたパターンが崩れ、休日はあまり外出しなくなり、メリハリの乏しい年となった。そんな中引っ越ししたことは、今年最大の行事となったわけだが、それ以外のことについては非活動的だった。
 
 ということもあってか、先日公園に出かけてみた。ずっと気になっていた「東京港野鳥公園」という場所。羽田空港、物流センター、環状線の近くにあり、こういう環境でどれくらい鳥が集まってるだろうかと以前から不思議に思っていた場所である。

 浜松町からモノレールに乗り、流通センターという駅で降車、ここから徒歩で歩いたが、さすがに環状線沿いの道は平日ということもあり、トラック通行量は多い。しかし公園に入ると静かで、ネイチャーセンターや観察小屋で鳥を観ていた。
 実は大学生の頃、バードウォッチングのサークルに入って野鳥を観てきた。しかし就職後、野鳥を観に出かけることがほとんどなく、せいぜいハイキングや観光などの途中で、鳥を見かける程度だった。そうした中、この日近場の公園とはいえ、主目的として鳥を観に公園に出かけたというのはもう何十年もなかったことだった。

 バードウォッチング目的なので、双眼鏡を持っていったのだが、この日は通常オペラ鑑賞で使用してる軽いタイプ(OLYMPUS10×21)のもの。大学時代使ってた双眼鏡(NIKON 8×30)は、3倍くらい重いので、選ばなかったが、久しぶりに観ていると、やはりオペラ用では視野が狭く、水鳥の位置をとらえるのに苦慮した。やはりこのくらいの有効径では難しいようなので、次回はNIKONの持ってゆこうと思った。

 観察小屋からカモやバンなどの水鳥を観ていると、時間感覚が緩んでゆく。こうした時間の流れは忘れていたが、どこか体感的には覚えているようで、懐かしさと新鮮さが入り混じった感じだった。この日は午後から仕事だったので、短い時間だったが、またこうして野鳥観る時間を来年はつくろうと思った。
コメント(0) 
共通テーマ:音楽