SSブログ
展覧会・写真・絵画など ブログトップ
前の10件 | -

映画 ボブ・マーリー:ONE LOVE [展覧会・写真・絵画など]

 ボブ・マーリーの映画「ONE LOVE」を見て思い出したのは、大学入学後のある午後の光景だった。

 ボブ・マーリーの音楽は高校生のころに体験済だった。10代後半に、70年代の名盤を探して聞いて中、ボブ・マーリーのレコードも買ったのだった。そのアルバムは、1975年発表された「ライヴ!」。解説ではレゲエ音楽という言葉があったが、そうしたレゲエ音楽という意識はあまりなかった。リズムが明確で強く、印象的にはロックよりのサウンド要素も強く感じられたのだろう。

 ずいぶん繰り返し聞いた記憶があり、有名な「ノー・ウーマン、ノー・クライ」「アイ・ショット・ザ・シェリフ」はもちろんだが 鮮烈に残ってるのは冒頭の「トレンチタウン・ロック」。最初の入りの部分から違和感なくこのリズムになじんでゆく。身体は緩いテンポに同期してゆき、アルバム全体もこのリズムで進行し、いつのまにか気分はゆるゆると高揚してしまう。

 やがて大学に入り、寮生活をスタートさせた、とある午後の時間が今でも記憶に刻み込まれている。入学当初はマメに授業を出席していたが、徐々に退屈に感じられ、自主休講も時々発生していたそんなある晴れた午後。突然休講になったのか、講義聞くのが面倒だったのか、はたまた二日酔いのせいにしてたのか、それともさしたる理由などなかったのか、定かでなないが、ともかくその日大学に向かうことなく午後部屋で寝そべって過ごしてた。そんな天気のいい午後の時間、突然下の階から音楽が聞こえてきた。

 え、これボブ・マーリーではないか。しかもあのライブ盤。高校時代に既に聞いてたとはいえ、同世代ではこういう話題ができる人は周囲にいなかったので、この音楽知っている人がいるのだと驚いた。当時の寮は民家も近くになく、のどかな場所にあったし、よく窓開けて過ごしてたのだが、この時の情景は残っている。講義に出席せず階下から聞こえてくるボブ・マーリーを聞きながら、まったりとしながらくつろいだ気分になっていた、その時間風景。

 それから会社に勤め、やがて10年以上過ぎた頃、ボブ・マーリーの他のスタジオ録音を何枚か買って聞いてみた。が、結局のところ、やはりこのライブ盤が一番ピンとくる。

 近年全く聞くこともなかったのだが、一昨日映画館でボブ・マーリーを見聞きしながら、自分はこの人の音楽背景全然知らなかったこと改めて気が付いた。政治闘争の背景や暗殺未遂事件からロンドンに向かい、そこで1977年「エクソダス」というアルバムを作ったことなど。そして「トレンチタウン・ロック」のトレンチタウンというのが、ジャマイカでの育った場所ということなど。

 帰ってから、久しぶりに「トレンチタウン・ロック」聞いてみた。30年くらい聞いてなかった気がするが、ちょっと聞くと一気に記憶は戻ってゆく。聞き終わってもこの曲が頭の中で再生され、ループしながらまるでエンドレスに反復されるように流れてゆく。あまり意識しなかったけど何度も聞いた曲だったな、と改めて思った。

映画:Bob Marley: One Love 2024年製作

コメント(0) 
共通テーマ:音楽

棟方志功展/東京国立近代美術館 [展覧会・写真・絵画など]

 うまくゆかないことや失敗が相次ぎどうにもこうにも落ち着かない状態が続いてた。何か変化が必要だったので、急遽翌日は外出してこようと思った。ちょうど棟方志功展が開催されており、見に行く予定だったので、これに決める。

 大学生の20代前半を青森県で過ごしたこともあり、棟方志功は断片的に知ってたが、まとまった形で見るのはこれが初めて。竹橋駅で降り、東京国立近代美術館に向かう。今回は生誕120年の回顧展ということで展示作品が多かったが、まずはサイズ感が目を引く。大きい、そのスケール感に迫力を感じる。
 時系列的に見てゆくと、知らなかったことが随分多く、創作活動の広範囲さには驚いた。仏教画など板画中心のイメージだったが、それ以外の活動も多岐にわたり、本の表紙、渡米、包装紙のデザイン、自画像、メディア出演とまあいろんなことに取り組んでいる。

 個人的には、谷崎潤一郎の「鍵」「瘋癲老人日記」における棟方志功の挿絵は密接にかかわってる印象があり、ここは改めて実感した。それ以外にも小説や雑誌の表紙はずいぶんと多く関わっており、また横浜の勝烈庵の包装紙とかは、ああそういえば、という感じで懐かしく思い出した。また渡米した時、カラフルなホイットマン詩集の英文なんかもやっていたり、これは意外だった。そして自画像がひょうきんな感じで、こんなのもあったのかと思った。こうした多方面の活動総体がムナカタなのだろうと思った。

 こうした中、全く知らなかったのだが、音楽との関連作品があった。「運命頌」、「歓喜頌」、「歓喜自板像・第九としてもの柵」というベートーヴェンに関連した作品(「運命頌」の英文は「In Praise of Beethoven’s Fifth Symphony」、「歓喜頌」「In Praise of Great Joy : On Beethoven’s Ninth Symphony」)がそれで、見ていると、画面のエネルギーの炸裂さに付帯できる音楽としてベートーヴェンは、なんとなくイメージはできた。逆にそれ以外の作曲家を思い浮かべてみたが、やはりベートーヴェンがこの作品にはフィットする気がする。

----------------------------------------------------

 展覧会見終えた数日後の夕方の酒タイムに、久しぶりにベートーヴェン交響曲第9番を聞いてみた。部屋ではめったに聞かない曲で、また酒とクラシックは基本的に組み合わせないが、棟方志功作品見た後だったせいもあり、ベートーヴェンと日本酒という初めての組み合わせを試してみた。タイミングのせいもあり、展覧会の振り返りとかなどもしながら、まあこういうのもなかなかかと・・・。

 その振り返り時間で再度思い返したのは、勝烈庵のこと。以前桜木町にコンサートへ行くときに、よく使ったコースパターンというのがあって、
・関内駅で降り中古CD店で物色→・途中昼食を食べる(そばが多かった)→・みなとみらいホール(県立音楽堂の時もあり)
というコースをしばしば設けていたが、その途中に勝烈庵の店の前はよく通ったことがあった。ここで食べたのは大昔で、でも雰囲気のある店だったので、店前を通過するルートをよく選んでたのだが、そんなことを思い出し、ネットでホームページとか見てたら、サイト内に「棟方志功と勝烈庵」というページがあった。そのあとメニューとか見てたら、やはり食べたくなった。調べると勝烈庵フーズで弁当販売もあるので、今度横浜に立ち寄った際にでも買ってみようか。


生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ
東京国立近代美術館 2023年10月6日〜12月3日
コメント(0) 
共通テーマ:音楽

ソール・ライター写真展 [展覧会・写真・絵画など]

 ソール・ライターの名前は聞いたことがあったが、まとまって作品を見るのは今回が初めてだった。きっかけは「新美の巨人たち」というテレビ番組で取り上げられたことだったが、これは見とかないとと感じた。

 展覧会の期間終了が近くなった平日の夕方渋谷で見てきたが、特徴的だったのは、プロジェクションの駆使、カラースライド展示を含め400点超という規模感は今まで見てきた写真展とは一線を画した構成であった。特に展示室の最後に登場した大空間でプロジェクションは10画面で構成した空間。かなり広さのあるスペースを使い、10面それぞれ別個のスライドが数秒間ごとに入れ替わり、それぞれの断片的なストーリーを垣間見せてゆく。
 街のちょっとした表情、ポートレート的な作品、そして雪が降るニューヨークの空気感。時代も場所も全然違うのに、自分の生まれ育った土地で降った雪の記憶がそこに重なる。雪の降った時の見上げた空の感じとか空気感が思い出され、寒いのにどこかほっとするものを感じていた。

 作品を見てゆくと、例えば初期のモノクロ作品では一瞬を切り取ったような写真がある。通りを歩きながら偶然遭遇した瞬間の記録。ピントが合ってなくても、動きの中でとらえた作品。被写体や人物の後ろ姿とカメラの位置は近く、そして早い。また一方で画面は遮蔽物が大きく前面を覆い、アンバランスな状態にもかかわらず、そこに生じた隙間から見える街や通り、動く人が、のぞき見的な感じとともに、リアルな瞬間を感じさせる。

 そして、作品を見てると、じっくり見るより、ある程度の速度をもって見ていた気がする。一般的な写真展だと作品を正面からじっくり見るというスタンスだが、今回の展示会はカラースライドやプロジェクションを使ってるため、じっくり見るより、次々に入れ替わるスライドを眺めてゆく感じだった。
 移り変わる街のありようや風景。そこを通過し、束の間とどまる人々の流動的な瞬間。それらをプロジェクションにより眺めることで、イメージが蓄積されてくような気がした。10画面で構成された暗い空間で、じっとプロジェクションを眺めながら過ごした滞在時間は、短かったものの記憶に残る感じがあった。

 あと、個人的に印象に残ったのは、一連のポートレートの中のダイアン・アーバスの2枚の写真、そして「散歩」と題された作品。ダイアン・アーバスは90年代に写真展を見たことがあり、その時の強いインパクトが瞬時に蘇ってきた。そして「散歩」という作品、この作品は見たことがある。そう、ポール・オースターの「オラクルナイト」が文庫版の表紙に使われてる写真。これがソール・ライターの作だったのか。オースター作品ではニューヨークの街中、歩くことが何度か登場するが、それらのイメージとクロスするこの「散歩」という作品は多重的に象徴的な感じにも思えてきた。



2023/7/8~8/23 ソール・ライターの原点 ニューヨークの色
ヒカリエホール ホールA
コメント(0) 
共通テーマ:音楽

「深瀬昌久 レトロスペクティブ」展 [展覧会・写真・絵画など]

 写真のみならず、絵画や映画などを観る際に、作品が日本国内か海外作品によって、見る時の感情の寄せ方がけっこう違ってくることがある。近年はだいぶフラットに、地理的背景の区分をあまり意識しなく見ることができるようになったが、古い映像や作品などを前にすると、やはり意識せざるを得ないことがある。海外作品の場合、ある程度客観性が保てるため、距離を置いて対峙できるのだが、日本の場合、記憶の残像やイメージが作動し、パーソナルな感情が介入してくることがある。

 深瀬昌久という人はこれまで全く知らなく、今回の展示会で作品を初めて観てきたが、記憶の一部が揺り動かされた。展示作品は1961~1991年までのおよそ30年間を8章に分けた展示構成となってるが、女性、家族、猫、カラス、自分自身など章ごとで作風がかなり異なっているので、全体像をつかむのは難しかったが、作風の変遷とともに観ていった。

 すべてモノクロ画質による作品から、断片的に切り取られた瞬間やコントラストの強弱が感じられる。また、彼の妻を撮った一連の「洋子」の作品群においては、外出する時にカメラに向けられた表情やポーズの豊かさ、衣服や装飾のありようなどから、日記風の感じや時代の空気感を感じさせ、印象に残った。そして故郷の写真館での「家族」の写真。1971年に郷里である北海道中川郡美深町を訪れて撮影した作品ということだったが、この地域に対し自分自身の記憶が動かされた。

 個人的なことではあるが、この写真館のあった土地に自分もかって住んでいた。生まれてからの数年間だけで、しかも直接的な記憶はほとんどないのだが、当時撮影された写真を見ることで、雪深い土地で生活してたと知り、その土地で過ごした時間の記憶が形成されたかようにも思える。小さい頃で、そこで暮らしたことを覚えてないのだが、もしかすると内部に埋もれた記憶はどこかで保持されてるのではない、そんな感覚はずっと長い間かかえていた。

 確か30代前半の時期だったか、帰省した際に、かって住んでいた町に一度だけ訪れてみたことがある。真冬のある日、列車に乗り、雪が積もる町を訪れ、あてもなくぶらぶらと歩いてみた。小さかった当時は町中を歩いたことはなかったはずで、景色や町中の風景から直接何か思い出すことは無かったのだが、それでもここで自分は生まれたのかという感覚はナチュラルに受け入れられ、そんな空気感とともにただ歩き続けた。その際、当時は写真撮影に凝っていたので常にカメラを持って外出していて、この時も写真を撮ってたが、いつものカラーフィルムではなく、モノクロのフィルムを使った。今もその時の記憶はカラー写真ではなく、モノクロの写真の質感とともに残っている。

 展示会のモノクロ写真をずっと観ながら、そうした個人的な背景が思い出され、記憶の扉がこじ開けられてゆく。そんな時間だった。

深瀬昌久 1961-1991 レトロスペクティブ / 東京都写真美術館
開催期間:2023年3月3日~6月4日
コメント(0) 
共通テーマ:音楽

「祈り・藤原新也」展 [展覧会・写真・絵画など]

 昨年9月に東京都写真美術館で「メメント・モリと写真」という展示会に出かけ、その中で藤原新也の作品を観る機会があった。気になったので、図書館で本を借りて初めて彼の書籍を読んでみたりした。(「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」という本)。さらに翌月の10月には、NHK Eテレの「日曜美術館」で「写真家・藤原新也の旅」と題した番組を観たことで、今回の大規模個展を観に行くのは、必然的な流れになった感じがする。

 インドやチベットの写真から、香港や福島など最近の作品まで幅広く網羅されているが、「祈り」という言葉で編集された展覧会とのこと。作品を観てゆくと、様々な地域で生活し生きること、何気ない風景、荒涼とした景色、ただそこにあるもの、時代と社会が生み出す変化の様など、いろいろな作品がある。そしてそこには、言葉が付いてくる。写真とともにそこで感じた瞬間の感情や記憶を呼び起こすような言葉が付いてきて、ファインダー越しに撮った者の感じた感触が添えられている。それらの言葉はその時撮った時の時間を呼び起こすようにも思えた。

 写真と言葉の結びつき。こうしたことは表現活動が写真だけにとどまっていないことにも表れてるのだろう。写真、作家、画家、旅行する人として幅広い活動があり、それらの中で、今回、筆で書かれた書の作品が展示されていたが、それはその時の空気感や時間が一気にそこにあったことを感じさせる強いインパクトがあった。

 全体的に印象に残ったのは、最近の作品だった気がする。何気ない、すぐそこにある自然や風景。人々や社会情勢の変化の中で、ただそこにあり続ける景観など。ちょうど今現在の自分も生活の周辺にあるただの景色や風景などを観て過ごす時間が増えたことにも関係してるいるのか、見終わった後にもそうした作品の感触が残っていた。

 余談になるが、展示作品観てると、アメリカの風景があって、そこで見たことのある写真に出合う。1991年に発表されたRAIN TREE CROWというバンドのCDジャケット。そうか彼の写真使ってたのかとの、懐かしさとともに思い出した。またその横にも見たことのある写真があり、チャールズ・ブコウスキーの文庫本の表紙に使ってたことも知った。

「祈り・藤原新也」展 世田谷美術館

コメント(0) 
共通テーマ:音楽

「ヴァロットンー黒と白」展示会 [展覧会・写真・絵画など]

 先日、「ヴァロットンー黒と白」というタイトルの展示会を観てきた。
 ヴァロットンの作品に出合ったのは2014年に開催された展示会だったが、見終わった後も妙にイメージが残る絵が多く、そうしたイメージがうっすらとではあったが、長く残っていた。時々また見たいなと思うこともあって、そうした中今年の前半にまた展示会あることを知り、ずっと楽しみにしてきた。
 今回は版画作品にフォーカスされた展示会となったが、約180点というボリュームだったので全部見終わったのは1時間半を超えていた。展示構成は5つのブロックに分かれていたが、中でも「パリの観察者」「アンティミテ : 親密さと裏側の世界」に時間をかけた。

 スイスからパリに出て、その街中の人々の流れや様子を描いた作品には、集団の動きやそこに発生する事故や事件に対し、一歩後ろに引いた感じや冷静なまなざしがみられたが、見ているうちに、ふと自分の20代中盤の頃を思い出した。仕事で都心に来て、週末になるとCDを買ったり映画を観たりしながら、東京という街中を歩いていた時期があった。そのうちカメラを持ち、いろいろな街中の風景を写真にとって歩くことがとても楽しくなり、一時期写真を撮ることに没頭してた時期があった。そんな自分のことを重ねつつ、展示会の作品を観てたのだが、何某かの事件や事象の断片に物語性があり、そこにつけられたタイトルは、その作品を読み込むための補助的な役割をもっているものが多かった。タイトルを見なくてもあらかたわかるが、タイトルと読むことでその背景や雰囲気がぐっと深まるものが多かった。

 一方、「アンティミテ」の方は一転して室内空間における男女の微妙な関係性の空気感が漂う。この10の場面において、やはり黒色の比重が大きく、「お金」という作品では、画面の半分以上が黒色に覆われてるのに、なんとその場の男女間の関係さが醸し出されているのか、そこにどんな会話があったのかと空想せざるを得ない。そして閉鎖空間における2人の表情は見えなかったり、大半が隠れた角度からしか見えないのに、空間装飾や配置、目線や衣服などから実に雄弁にその場の関係性が浮き上がってくるのだった。

 他の作品もいろいろあったが、クラシック音楽という点からみて、いくつか関連作品があった。肖像画ではベルリオーズとシューマンがあった。また連作「楽器」という版画もあり、ここでは6つの楽器を取り上げていた。チェロ、フルート、ピアノ、ギター、コルネット、ヴァイオリンをそれぞれ室内でひとり静かに演奏してる作品だが、「ヴァイオリン」では暖炉の前でひとり椅子に座りながら奏でる音は、きっと穏やかでひっそりと静かなのだろうと空想したりもした。

 版画という手法による作品をこれだけの規模で観れたのは、貴重なことだったが、展示会のタイトル「黒と白」という意味付けは、見終わった後そのコントラストさが強く残り、なるほどと思った。

「ヴァロットンー黒と白」
三菱一号館美術館(2022年10月29日〜 2023年1月29日)
コメント(0) 
共通テーマ:音楽

「メメント・モリと写真」・・・東京都写真美術館 [展覧会・写真・絵画など]

 先日写真展を観てきたのだが、何年ぶりだったのだろうか。5年もしかすると10年ぶりくらいだったか、とにかく近年遠ざかっていたのは間違いない。写真展を観に行くということで、恵比寿の東京都写真美術館に向かって歩きながら、過去のことが思い出された。特に90年代、音楽と同じくらい、否ある一時期は最も自分の重要事項は写真だった。あの頃写真展を観に行ったり、写真関連の本を読んだり、自分で写真を撮ったりしながら、関心の大きな部分を占めていた時期があった。
 
 今回観に行ったのは「メメント・モリと写真」というテーマによる展示会。数カ月前に、これは観ようと予定してたものの、外出控え状態と体調不安定さから先延ばしし続けていたら、今月末までということになってしまい、ようやく先日行ってきた。

 「メメント・モリ」(死を想え)という言葉、また近年こういうテーマ自体は自分にとって重要な要素になっているが、今回展示会の解説読んでるとある部分でスーザン・ソンタグの著述が引用されていた。特にこの展覧会との関連付けは意識してなかったのだが、先日以前から読もうとしてたスーザン・ソンタグの著書をちょうど読んでたところで、過去から現在の関心ポイントの焦点が合ったようにも感じた。

 死が目の前に迫った戦争や紛争の写真もあったが、それ以外の日常や生活、風景の写真も多くみられた。藤原新也や荒木経惟のほか、青森の風景を撮った写真家、小島一郎の作品は今回初めて見たが、印象に残った。
 またリー・フリードランダ-、そして過去に展覧会で観たことがあり強烈なインパクトを残していったダイアン・アーバスの作品も観ることができたが、今回最も惹きつけられたのはウィリアム・エグルストンという人。

 名前も知らない写真家だったが、展示会のモノクロ写真が多く占める中、70年代のカラー写真が独特の時代感を映し出していた。アメリカの風景と人物写真という感じなのだが、殺伐とした風景や乾いた空気感の中に漂うあいまいな情感が、心を惹いた。わずか5点の作品だけだったが、妙に印象に残る作品で、帰ってからウィリアム・エグルストンのことを調べてみると、アメリカのニューカラー世代の一人ということで、作品をいくつかネットで見てみたが、自分が反応する作品群が相当あった。

 日常や風景を撮った作品から、直接的には死を感じさせないが、生と地続きな死という線上で眺めると、考えさせられるものがある。何気ない風景や人物像の背景の中に潜む時間の流れがあり、そのある瞬間を写真にとどめることで、そこまでの時間とその後の時間が交差するようにも感じられる。

 久しぶりに写真展を観たが、また今後継続的に観ていきたいな、と思った。

「メメント・モリと写真」-死は何を照らし出すのか
 2022.6.17~9.25 東京都写真美術館
コメント(0) 
共通テーマ:音楽

混んでる場所 [展覧会・写真・絵画など]

 昨年、ムンク展が開催されてたのだが、結局行かなかった。
 観に行きたいと思ってたのに、遠いとか、寒いなどの理由を付けながら先延ばししてるうちに終わってしまったのだが、一番言い訳的な理由は、混んでそうということだった。

 とにかく人込みや混雑は苦手の一言。毎日の通勤は言うまでもない。急行とか快速はめったに使わないし、昼の外食する際の選択基準はおいしいとかではなく、あくまでまず混んでないことが優先事項。買い物もバーゲンとかはほとんど寄り付かないし、レジ前が長蛇の列を見てしまうと止めてしまうことすらある。何かで予約しないとならない時、混んでるようならすぐパスすることも多く、コンサートチケット予約するときも、すごい勢いで売れていて、予定してた価格の席が売り切れてしまった時は、がっかりするのと、仕方ないという気持ち、そんなに混んでるならいいかというような気持ちが交じり合う次第である。

 とはいえ、避けられない場合ももちろんある。今年はラグビーワールドカップカップが9月に開催されるが、念願チケットを入手でき横浜の日産スタジアムに行くことになってるのだが、さてここで問題になってくるのが、相当な混雑が予想されること。いろいろ考えても大勢の人が競技場に集まる一大イベントなので、やむを得ないとは思ったが、混雑に不慣れな自分としては大いに不安があったので一度視察に行っておこうと考えた。
 そこで先月、サッカーJリーグの試合があったので、駅からの行路、会場下見などの予行演習を兼ねて実際に行ってみた。その日の試合は3万人以上の入場客数だったので、やはりすごい人だったのだが、実際入って観戦したりしたが、想像してた以上に混雑感が少なかった。これはやはり、ある程度の広大なスペースだったことが大きかったのだろう。狭い空間に行列したり、入場規制で長蛇の列に並んだりすると混雑度合を強く意識してしまうのだが、ある程度の空間の広さがあると、やや混雑に一定の距離を置けるのだろう。

 それとは別に、先月は神奈川近代文学館で松本清張の展覧会というのも見てきた。松本清張というのは有名作品くらいしか読んでなかったが、この展示会を見ると、推理小説作品以外の分野に対する作品も相当多く、多様なジャンルへの関心があったようだ。特に史実や歴史検証に対するノンフィクション分野に精力的に向き合った印象を受けた。
 この展覧会はゆっくりと1時間半くらいかけて自分のペースで見ることができた。気持ちに余裕があって、ゆっくりと見ていけたので、非常によかった時間だった。

 そんなことで、ここ数週間は松本清張作品ばかり読んで過ごしている。


特別展「巨星・松本清張」/神奈川近代文学館
2019年3月16日~5月12日

コメント(0) 
共通テーマ:音楽

クラーナハ展 [展覧会・写真・絵画など]

 だいたいのところ、美術館に足を運ぶペースは年間1回程度かと思う。何だかんだと1回くらいは、観てるような気がするが、かといって3回以上というペースはあまり記憶になく、また年間ゼロ回だったということもそんなになかったと思う。

 時々観に行く、という感じだが、やはり「これは」、というのがあれば回数は変わる。そういう点では、今年観たいと感じた展覧会が2つあったので、めずらしく2回となった。ひとつは、秋に観に行った「ダリ展」。ダリの絵画は今まで本などでよく見かけ、いつか機会あればと思ってたので、ようやく見れたというところ。

 そしてもうひとつが昨日観にいってきた「クラーナハ展」。
 実はこの人の名前今回初めて知ったのだが、絵画のいくつかは目にしたことがあったものの、画家の名前は今まで知らなかった。
 ルカス・クラーナハ(1472-1553)の絵画は、やはり裸体画が強烈な印象を与えるが、今回の展覧会を観ると、もっと多様な側面が見れた。6つのテーマで整理分類されており、肖像画家として書いた作品にも、顔を含めた身体のアンバランスさと個性の際立たせ方が目を引いた。また「裸体表現の諸相」というカテゴリーでは、有名なヴィーナスとともに印象的だったのが、「アダムとイヴ(堕罪)」という作品。2人の身体の距離感と双方の表情がなんともいえない含みを感じさせたのだが、こうした絵画上における物語性は、この展覧会のカテゴリー「誘惑する絵 「女のちから」というテーマ系」のブースで、さらに堪能できる。

 ここでは、例えば、オペラ作品にも取り上げられている、「サロメ」や「サムソンとデリラ」の一場面が絵画として描かれているのだが、たった一つの絵の中にぎゅっとした物語性が凝縮されており、絵画を観る楽しみを改めて実感。「ロトとその娘たち」という作品も、解説を読んでまた絵をじっくりみると、ストーリ性とともに観るというおもしろさが感じられた。

 こうして絵画を観ると、いつも聴いてる音楽にもどこか影響するのだろう。今日はこのブログ書きながら、やはりバロック系の音楽などを探してるうちに、モンテヴェルディの「ポッペアの戴冠」を聞いていた。
 ちょうど来年、モンテヴェルディのこの作品の演奏会形式公演があるようなので、聴きに行こうか、昨日の展覧会の余韻の中、そんなことを考えながらこの文書を書いていた。
 
 国立西洋美術館 「クラーナハ展 500年後の誘惑」


コメント(0) 
共通テーマ:音楽

「エリック・サティとその時代展」 [展覧会・写真・絵画など]

P1010150.JPG

 昨日、都心の連続猛暑日がようやく止まったようだが、まだまだ暑さは続きそう。先週も日中の暑さを回避するため、朝早くから、今日はとにかく外出だ、と決めて出かけたが、暑さしのぎも兼ねて、ちょうど気になっていたサティ展を観てきた。渋谷駅を降り、Bunkamuraまで、それほどの距離ではないのだが、雑踏と暑さでぐったり、しかし展示会の会場に入場すると、さすがに冷えており、束の間の避暑。

 時系列に5つの章に区切られた構成。例えば最初の第1章「モンマルトルでの第一歩」ではキャバレーなどの様子を書いた画家たちの作品が、この頃の雰囲気を伝える。その中で各ブースでサティの音楽が小さなスピーカーから流れていたが、このコーナーでは「3つのジムノペディ」がひっそりと流れていた。絵画など見ながら、この曲はそっと寄り添うように、たたずんでいるようだった。

 こうした中、今回非常におもしろかったのは第3章「アルクイユにて」における、サティの「スポーツと気晴らし」という作品。非常に短い20曲で構成された曲集であるが、この作品にはすべてシャルル・マルタンによる挿絵がついていた。スポーツのひとこまや日常の遊びなどの気晴らしの、さらっとした絵の下にサティの楽譜がついている。絵画と音楽のコラボレーションといった趣きの作品集だが、この音楽が別ブースで聴くことができた。小さなスクリーンに先の挿絵と楽譜を映し出しながら、実際の音楽が聴くと、すごく雰囲気がわかる。さらに楽譜には詩が書いてあり、ピアノの音に詩の朗読が重なりながら、サティの音楽聴くというよりむしろ、ふんわり感じるようにして見聞きした。

 いつもより展示会場を早めに、さらっと回り、しばしのあいだ暑さのことは忘れることができた。しかし、外に出てみれば、予想してたとはいえ、再び強烈な熱波が正面から押し寄せてくる。暑さに朦朧とする中、展示会の空間と音楽が何か束の間の夢のような時間だったようにおぼろげに思えてきた。

2015/8/2 Bunkamuraザ・ミュージアムにて
コメント(0) 
共通テーマ:音楽
前の10件 | - 展覧会・写真・絵画など ブログトップ