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ポール・オースター「ムーン・パレス」 [ポール・オースターの本]

 オースターの作品では、割と読み易い作品に該当すると思ってきた。ネット検索とか書評を読むと、自伝的、ルーツ探し、青春小説などの言葉が出てきて、また自分で読んだ過去2度の読書でも読みやすかった記憶もあった。しかし、今回再読してみると、そうとうは思えない感触が残った。
 おそらく、ここ数年のオースター作品を読み込んできたことによる蓄積部分、そして前回から20年以上経過していることも影響したのだろうが、今回の3度目に読むと過去の印象とは異なるものを感じた。

 確かに、主人公が1960年代後半の大学生という設定、また著者自身が卒業したコロンビア大学の学生という設定にも自伝的要素が重なる部分があり、前半はフォッグの学生時代のすさまじい貧困生活と転落、救済という部分が全面に出てくる。

 しかし中盤以降は老人エフィング、老人の息子ソロモン・バーバーの人生が入り込んでゆく。前半はフォッグが中心設定になってるが、中盤以降からフォッグは物語の聞き手としての位置にシフトしてゆく。偶然に関与した人物との接点を通じ、そこで語られる物語から派生した円環の中にいつの間にか取り込まれ、やがて気が付くと深く関与せざるを得ない状況に入ってゆく。

 エフィングという老人の破天荒で予測不能な人物に翻弄されながら、見えない糸がストーリーを牽引してゆく。老人の屋敷で住み込みながら書物の朗読するという風変わりなアルバイトをしながら、長大な老人の波乱万丈な人生が語られてゆく。エフィングからの奇異な指示、彼の奇抜な行動や習慣を目の当たりにしながら、話は現在を飛び越え、過去の時間に向かってゆく。
 これは本当の話なのか。しかもこの物語の展開部分というより、中核まで規模を拡大し、実際にこの小説の半分近く(およそ200ページ弱を費やしてる)相当の記述が費やされている。さらに途中で時間軸は1910年代までさかのぼり、西部への旅を経て洞穴で飢餓や空腹の危機的な状況を経てゆくが、これは前半のフォッグの金銭がなくなった窮乏状況に重なるのだろう。

 更にエフィングの死から、フォッグは息子のソロモン・バーバーと面会することになり、そこから驚くべき事実を知ってゆく。このバーバーの語りの中には、彼の書いた架空の小説が挿入されているが、これが結構な長さとなっており、途中で一体何の本を読んでるのか見失いそうになる。この構造はその後のオースター小説に何度か出てくる、いわゆる、物語の中に別の物語が入ってくる構造が本格的に登場した最初の作品かもしれない。

 そしてすべてがうまくゆきそうだった時間が崩壊へと向かう中、バーバーの死から残された無形の未解決の接点を足がかりに、洞窟を探す旅へとフォッグが動いてゆく。一体、エフィングが語った洞窟は途方もないでっち上げだったのか、それとも真実だったのか、それを探しに動きだす。何かに突き動されてるような無窮動の動きを経ながら、やがてたどり着く場所へと導かれる、そこに何か希望が感じられる。

 全体を通じ、月がいろいろな場面で上方から照らし出され、見えない糸のようなものが、個別の関係しなかった人をつなぎ合わせてゆくようだ。月面着陸、中華料理店(ムーン・パレス)、叔父の楽団名(ムーン・メン)、様々な月のイメージを中心点に添えながら、人の抱える深い暗闇とそれらを照らす月明かりが隣り合わせに感じられてくる。
  
 なお、ラストの方でフォッグとバーバーの何気ない会話があり、興味深い次作への伏線のような箇所があったので、以下追記しておきたい。
 バーバーはクープランは退屈だが、フォッグはクープランの「奇妙な障壁」は何度聞いても飽きないという部分がある。些末なエピソードのようだが、この曲は翌年発表された「偶然の音楽」の中でも引用されている曲である。


ムーン・パレス (Moon Palace 1989)柴田元幸訳 新潮社
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