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ハイドン 交響曲第6番、7番、8番 [ハイドン]

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 今まで何度かハイドンの交響曲を聴く機会はあった。CDも入手し、主要曲は多少聴いてきたつもりだった。しかし、この日の演奏を聴くまで、見えなかったものがあったことに気がつかされた。

 ハイドンの交響曲というのは、さっと耳にすると、とても馴染みやすい印象がある。大雑把な印象として感じられるのは、どの曲を聴いても、ある程度パターンがあって、そこからひどく逸脱することもなさそうな気配。また、雰囲気も多少変化はつけられているものの、全般的に見出せるのは穏やかさ。そうした点からか、居心地が良すぎて、妙に安心してしまうところがあるような気がしていた。

 聴いていてると、次第に気持ちが安心し、過度にリラックスしてしまうがあるが、そういう状態も決して悪くはない。ただ、その反面、ある部分から先には、深く踏み込めない感じもあった。彼の弦楽四重奏曲やピアノソナタあたりには、かなり接近し、曲ごとの変化をある程度楽しめるようになったが、どうも交響曲はうまく向き合えない。最初に聴こうと意識的に取り掛かるものの、その後どこかですり抜けてしまうのだ。
 
 そうした中、久しぶりにハイドンの交響曲をコンサートで聴くことになった。今回は作品番号が1桁の初めて聴く曲で、どうもあまり頻繁には取り上げられない作品、しかも前半に3曲連続で演奏されるという貴重なもの。
 今までコンサートの中で聴いてきたハイドン交響曲作品を振り返ってみると、プログラム前半の冒頭一曲目に取り上げられる、というパターンは何度か見かけてきた。この点から、前半に複数の作品をまとめてきけるという事は、楽しみであった。とはいえ、「もしかすると、同じような内容の曲で、途中飽きるかもしれない・・・」という不安も、わずかながら抱えてはいた。

 最初に音が出て、はっ、とした。随分耳に親しいはずの音なのに、すごく新鮮な感触。
 パンフレットの解説を読んでみると、各楽器のソロを取り込んだ、合奏協奏曲スタイル、ということだったが、実際聴いてみると、この部分が非常に効果的なアクセントになっていた。規模も編成もコンパクトで、交響曲というより、バロック音楽に近い感じだったが、ヴァイオリンなどの短いながらも独奏やソロが、曲を引き立てている。
 そして、音がフレッシュな立ち上がりで始まり、全く退屈どころか、目の覚めるような澄んだ活力が感じられた。音楽が活き活きとして、生気に満ち、颯爽として、見通しがよい。弾力もあって、きびきびとした感じがあった。

 この交響曲は第6番「朝」、第7番「昼」、そして第8番「夕べ」という副題にあるように3部作のような形式をとっているが、中でも第8番「夕べ」がとりわけ印象的だった。第3楽章には非常にめずらしいコントラバスのソロが登場し、続く第4楽章は直線的に駆けてく疾走感を感じる。その中で、ちょっとした変化やアクセントがあって、短いながら、充実した内容の曲だった。
 
 聴き終えて、ホールを出た後も、ハイドン交響曲の爽快感が広がっていた。
 帰宅後、以前何度か聴いてみたハイドン交響曲のCDを取り出して、再度聴いてみる。過去に何度か聴いたが、どうも何かすり抜けてしまう感覚があったCDだった。ところが不思議な事に、今回は音の隅々に新鮮さが見えてくる。コンサートで感じた新鮮な感覚が保持されたいた、その状態から、結局、このCDの全3曲一気に聴いてしまった。
 またひとつ、少しだけだが、視界が広がったような気がした。

2010/11/23 読売日本交響楽団 みなとみらいホール 
CD: Haydn Symphonies No.26,No.52,No53 / La Petite Bande 1988-1991

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