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ブルックナー交響曲第8番 [コンサート(オーケストラ)]

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 第4楽章のフィナーレで演奏が閉じた後、何と呼べばよいのだろうか、感動とかとは少し異なるが、大きなものが押し寄せてきた。80分近く演奏が続き、その間ほとんどリラックスもせず、弛緩することもなく、かなり緊張感を保持していたこともあったのだろう。頭の中は未整理のまま、圧倒的に音楽を浴び続けた状態の後、そんなことを思っていた。
 でも、手ごたえは確かに、あったのだ。ブルックナーの交響曲第8番を聴いて、初めて手ごたえというものを、しっかりと感じることができたと思えた。そして、同時に、この一ヶ月間近くの間、随分と試行錯誤を繰り返しながら、この交響曲と向き合ってきた時間の長さが、ようやく意味のあるもに思えてきた。

 ブルックナー交響曲第8番は、今回3度目の挑戦だった。初めて聴いたのは3年前。しかし、この時は予備知識も全くないまま直面し、しかも冒頭から眠気に襲われてしまい、ほとんど意識のないまま大半を過ごしてしまった。ただ後半になって、ようやく音楽をなぞり始め、特に最後のほうなどは、しっかり聴いていたこともあって、全体の感触はけっこう良かった。

 その後ブルックナーの別の作品を聴くことをはさんで、今年2回目の演奏を聴く機会を得た。前回の反省点を考慮し、事前に全体像をつかんでおいたほうがよいだろうと考え、CDを購入し、予習をしてから臨むことにした。ひととおり耳にしていたので、コンサート前には、多少準備できたのでは、という気持ちはあった。
 ところが、準備したつもりだったにも関わらず、実際は思うほどうまくゆかなかった。

 聴いているうちに、予想以上に、道に迷ったかのような気分が現われてきたのだった。全体を見渡すことができなく、いまどのあたりにいるのかが、わからない。細部は聴こえているのに、そこが、一体どのあたりなのかが判然としない。出口を見失い、どこか脇道に迷い込んでしまって、戻れない。そんな気分が生じていた。
 しかし、部分的には、聴き覚えのある箇所もあったことからも、事前予習の効果があっただろう。そうした状態の中、曲が進むにつれ、少しずつ自分の中で変化が生じはじめてゆく。特に第4楽章は、そこまでの霧の中から一気に抜け気って、音楽がぐっと近づいてきた。各楽器の音が、見通しよく聴こえてくる。全体の位置がわからなくなりながら、とにかく、ついていった後、ようやく音楽と自分の接点が見えてきたのだろうか。じっくりと、積み重ねながら、一歩ずつ踏み込んで、そして決着点に到る。そのアプローチのステップに大きな音楽を実感させられた。
 
 2回目を聴き終え、後半部分の感触はあったものの、全体像を掴みきっていなかった、という課題は、依然として残っていた。
 何が足りなかったのだろうか。自分自身の中で、この曲との係わり合うポイントが見つかってなかったのかもしれない。2回目の後、そんなことを考えながら、もう一度CDで復習し直してみた。聴きながら、全体が巨大すぎるのだったら、もっと、もっと細分化して、各楽章単位で眺めてみよう、と考えてみた。楽章の中で、自分が反応したこと、気がついたことは、何でもいいからメモしながら聴いてみた。

 最初は一番わかりやすいスケルツォ楽章から着手。この楽章には、何度か同じフレーズが執拗に反復されていることには気がついていたが、今回、それがいくつあるのかカウントしてみる。冒頭、2分前に停止、静かになり4分過ぎに再度登場、再度停止、・・・そうした自分なりのメモを書き出しながら、自分で感じたポイント箇所を確認してゆく。聴き終わった後、自分にチェックしたポイントを波形のように描いてみる。そんなやりとりを重ねながら、楽章単位ではあるが、多少自分のイメージをつくりだしてみた。

 曲を聴いて感じたことを基点にして、自分自身のマップに点を書き込んでみること。自分の中のポイントを探り出し、そこを足場に、楽章ごとのイメージを構築し、それらが全体としてどう統合されてゆくのか、そうしたアプローチで接しながら、次の演奏機会の準備をしていった。

 そうして、今回、3回目のコンサートを聴くこととなった。

 第1楽章の開始から、音楽は丁寧に、流れを削ぐことなく、明瞭に描きだされてゆく。冒頭のトレモロ「ブルックナー開始」の部分が、小さな震えるような音なのにくっきりと、クリアに聴こえてくる。そして金管楽器の分厚い響きが圧倒的な音量と表情を生み出す。「1:30あたり ティンパニが入るがすぐ落ち着く、2分半あたりに旋律が現われる・・・、ホルンソロ、7分過ぎ反復・・・」そうした自分のメモを思い出しながら、全体の進行を意識して、音の響きに耳を傾ける。

 第2楽章のスケルツォ。ポイントになる反復される主題は、力強く、根源的な動力感を重心に潜めているようだ。そして、その主題が次の反復するまでの流れに、自分の焦点を意識してみた。自分でつくったポイントの波形部分にあたるこの合間は、CDで聴いた時、うまくつなげることができなかった部分。しかし音楽が流暢な流れで、決してこの部分がかけ離れているわけではないことを教えてくれる。

 そして印象的だった第3楽章。事前の印象では、ワーグナーのような雰囲気、ポイントはハープ、終盤の音の上昇からシンバルの音でピークを描く箇所。ところがスダーンの指揮する表情は、穏やかささえみせていたように思えた。音楽は大きく広がってゆくよう。上昇しながら、旋回し、しかし静寂の中に留まってはいない。事前の予習でこの楽章の中間部分が一番イメージが出なかった箇所だったが、この日の演奏を聴いて、こういう音楽だったのかと感じられた。長い第3楽章が終わり、スダーンはじっと目を閉じ、そのままの姿勢で動くことなく、そして第4楽章にはいってゆく。

 第4楽章は、冒頭から音楽が響きわたる。ここまで聴いてきて、迷いこんだような感覚はなく、初めてブルックナーの第8番の流れが少しつかめた感触があった。この第4楽章は、その掴んだ流れの中で聴いてゆく。

 今までこれほどまでの時間をかけて、自分なりの手ごたえを掴むのに時間をかけた交響曲は、なかっただろう。自分ではよくわからない、しかし何かに惹かれるものがあったからこそ、時間をかけて向き合ってきたのだと思う。そうして時間をかけて向き合った音楽だったからこそ、この日の演奏のフィナーレの直後に、ものすごく大きな実感に結実したのかもしれない。

 ブルックナー交響曲第8番という、巨大な壁に、自分自身の小さな楔かもしれないが、やっと打ち込むことができた気がした。足場ができ、少しばかり上ってみることができたのかもしれない。しかし依然として、まだまだ全貌はみえきっていない。
 ただ、おぼろげな霧の中にうっすらと、浮かび上がってきた輪郭は、みえてきたようだ。手ごたえは、そう、掴んだのだから。

 この先も何度か聴く機会があるだろう。そして、今度は、一体どんな感じで全体を見渡すのだろうか。


2010/11/28 東京交響楽団 定期演奏会 ミューザ川崎

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